Under the hazymoon

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掬い取る攻撃

馬貴派八卦掌の熊形背身掌の重要な動作に、相手から“掬い取る”攻撃なんてものがあります。一見すると、上から下に拳を打ち下ろしているように見えるのです。しかしこの攻撃は、相手のどこか一点を打とうとするものではありません。意識としては相手の身体の何かを上から下に掬い取るように拳を振るいます。
李先生によれば、北京方言で「wā」というそうです。おそらく意味からすると「」と同義でしょう。具体的な動作の説明よりもこの語のニュアンスの方が理解を深めるのだとか。「wā」という言葉からイメージされる状況はこういうものです。
大きなお椀の中におかずがよそってある。汁物でスープの底に具が沈んでいる。これをスプーンで掬って自分の手元に持ってくる。しかし普通に取り分けるようによそうのは「wā」とは言わない。もうあと一人分しか残っていない。しかも自分はすごく腹が減っている。全部掬い取って他の誰にも渡さず自分で食べる、そのような動きを「wā」と呼ぶのだとか。
勢いよくスプーンをお椀に突き立てると、スープが飛び散るし具も取れません。お椀に沿ってしっかりスープも具も“掬い取る”、そのように動くのがこの動作の肝心なところだ、そのように李先生は語ります。腕を素早く振って相手に拳を当てるのではなく、拳で相手からしっかり掬い取るのだと。
当てることだけを考えて腕を振るだけでは、それで相手を倒せないときに次の動作へとつながりません。しかし身体の回転で掬い取れば、そのまま反背錘(自分の背後への裏拳打ち)という次の攻撃に自然に移行できるというわけです。李先生の動作はまさしくそのようになめらかに連続した攻撃になっていました。
しかし、子供の頃からの食いしん坊なのに、なかなか掬い取るのは難しく、動作がぎくしゃくしてしまいます。熊形の求める腰の充実と肩の脱力がまだまだ不十分だと実感しました。

走圏の難易度と身体の回転

各種走圏の難易度と身体の回転は関係しているのかもしれません。手は姿勢の維持だけでなく、回転の維持も助けてくれます。八種の走圏は手の形が異なるだけですが、手の位置によって身体の回転のしやすさは異なります。
もちろんあくまで身体それ自体の回転力を養うことが第一義で、手はその補助に過ぎないわけです。方便というこでしょうか。ともかく以下、僕が多少なりとも学んだものに限って、試みに難易度をそれぞれ考えてみます。
もっとも容易な走圏が単勾式とされる理由は、両手を前後に伸ばすことで姿勢のバランスを取りやすいからだそうです。しかし歩く円の中心に向かって身体を回し続けるのにあたっては、龍形や獅形の方が容易でしょう。身体の向く方向へ両手を突き出すことで、回転の維持を支えてくれます。さらに両手を上下に分け、後手をより強くすることは回転の維持に力を与えてくれるでしょう。
一方、単勾式や鷹勢は、両手を前後ないし左右にそれぞれ広げるため、後手による回転方向へ推す力はなくなります。ただ両手を正反対に伸ばすことは、回転をある程度後押しできるように思います。
この点で、より回転の維持を難しくするのが、熊形かもしれません。両手を自然に下ろすことで伸びる背中の筋の力が、身体の回転を助けてくれるには、相当の鍛錬が必要だからです。

達磨と鬼谷子と八卦掌

実は少し前から、李先生から達磨と鬼谷子が八卦掌と深く関係していることについて話は伺っていたのだが、最近、海外では話されているようなので、確定事項として考えてよいということなのかもしれない。

実際、八卦掌の門派によっては、拝師の際に開祖として達磨と鬼谷子を並べていたという伝承が残されている。詳細は伺ってないが、李先生もそのような話を聞いたことがあるとのことだった。

何故達磨なのか、という答えは『易筋経』にもとづいた鍛錬を八卦掌では行っているからだ。では、鬼谷子は?やはり武術の内容と関わる。そのさわりは前に伺っているが、詳細は李先生の講義を待つことにしてここでは筆を置く。

ところで八卦掌以外にこの両者の組み合わせってあるのかなと思って、お百度参りしてみたら、どうも靴職人の神様だったらしい。

鬼谷子は靴を犬に変化させて弟子の道案内とし、達磨は墓の中に靴を片方だけ残して西域に帰った。八卦掌はその歩法の神妙をもって知られたわけで、宗教文化という側面からも、八卦掌で達磨と鬼谷子を尊崇したのには意味があると言えるのかもしれない。

八卦六十四刀動作一覧(更新中)

八卦大刀の套路八卦六十四刀を現在学んでいますが、李先生が繰り返し強調されているのは、この套路で学ぶのは刀の使い方の基礎であって、実戦上の技術的な内容は含まれていないということです。そうした技法の類はすべて獅形の走圏と掌法の中にあるのだけども、基本的な使い方がなっていないと学ぶことができないとの由。つまり基礎の基礎を学んでいると。六十四という数は、つまりは刀の使い方がだいたい六十通りはあるのだそうです。そんなわけで、套路の順序に従って、以下、刀法の種類を挙げていきます。

  1. 剁(た):たたき切る→剁字的解释---在线新华字典 片手を添えて力一杯押し切る動作
  2. 扎:突き刺す→扎字的解释---在线新华字典 奥まで貫き通す動作
  3. 劈:切る→劈字的解释---在线新华字典 上から下まで切り下ろす動作
  4. 撩:捲り上げる→撩字的解释---在线新华字典
  5. 帯:引き寄せる→带字的解释---在线新华字典 自分は動かない
  6. 措:刺す→措字的解释---在线新华字典 この漢字であってるか未確定
  7. 拉:引っ張る→拉字的解释---在线新华字典 自分も動く
  8. 劃:そぐ→划字的解释---在线新华字典
  9. 推:推していく→推字的解释---在线新华字典

“歩眼”と自己認識

“歩眼”と言われて、最初にイメージしたのがこれですが。。。

http://art47.photozou.jp/pub/801/141801/photo/81675853.jpg
藤子・F・不二雄「考える足」)

それはともかく、前に書いた記事*1では、第一の要点として、目で見ているかのように足をしっかり動かすこと、第二の要点として、目で見た方向に足をきちんと動かすことを挙げました。対立するようですが、実際には両者は同じ要求を示しています。目は身体の上にあり、足は身体の下にあります。目と足の動く方向が異なれば、身体はばらばらになるわけで、脊柱の両端の動きであるところの視線と動線の一致は全身が一体となって動くことを意味するからです。
実際に練習していて、いちばんおろそかになるのが、目と足なのは確かです。余計なことを考えて動きに集中していないと視線はおよぐし、仮に集中して(いるつもりで)も、手や足の指先、とりわけ足の方までは神経が届かないことはしばしばです。
夏目さんが空間の認識と言い当てているような感覚*2を、“歩眼”というきわめて身体的な言葉で示しているのが重要なのでしょう。僕はどちらかというと鈍いので、第六感というか気配を感じ取るとかてんでダメなので、感覚を磨けと仮に言われた困ったでしょうが、目と足だと言われたことで、実際にどう鍛えればよいかは分かりました。できるかどうかは、まあ別として。

2月の探掌メモ

今回学んだ探掌は次の通り。ちなみに番号は今期学んだ順です。例によって李先生は、名前は教えない、順序も固有のナンバリングではない、という徹底ぶりでした。なので以下の記述は動作のメモ、ということです。

  1. 馬歩で単発
  2. 馬歩で双発
  3. ボックスで単発×3
  4. 馬歩で三発
  5. 後方に直進三発
  6. ボックスで三発×3
  7. 横単発×3

前に母掌込みで9法学んでいますが、この時点で初めてのパターンが4法あります。もっとも套路や別の掌法としてすでに学んでいる動きがほとんどで、ほぼ初めてなのは7法目ぐらいでしょうか。

はやく動けば肺が、ゆっくり動けば腎臓が鍛えられる

李先生が言われるには、単換掌の練習において大切なのは、素早く動こうとか力強く動こうとするのはよくないとのことです。そうした実戦性を求める練習は別に用意がある。単換掌は土台作りのための練習なので、ゆっくりと個々の動作を明確に行う必要があると。

なぜなら素早く動こうとして動作がいい加減になると、姿勢が崩れてしまう。姿勢が崩れると、気血の流れが悪くなる。気血の流れが悪くなれば、身体を強くすることができなくなる。結果、練習すればするほど技術的な向上が見られても身体を弱くしてしまうわけです。力強く動こうとした場合も、筋肉を使って筋が伸ばされなくなって、気血の流れが阻害され、以下、同様の問題が出てきます。

内蔵を強くするという視点からも、素早く力強く動くことには問題があります。そうした激しい動きによって呼吸も激しくなり、胸を使っていくと、気血が身体の上部に偏ります。それで肺は鍛えられることになりますが、しかし人間の力の源になるのは腎臓です。胸をゆるめ気血を下に降ろし、腰を張り常に回転させ続けることで、腎臓に気血がめぐり、腎臓が強くなることで、全身の気血のめぐりが促進されるようになるということなのだそうです。
また胸をゆるめることは胃をゆるめることになるので、食事、つまり外部からの気血の摂取を促進させてくれるのだとか。
動作を正しく覚えるためにゆっくり動くのではない、というわけです。