Under the hazymoon

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東洋大学中国学会2006.7

以下書きかけです。

 母校の学会に行ってきました。懇親会もあわせるとけっこうな長丁場。ま、途中で居眠りしたりしてましたが。シェスタ〜。違うでしょ。
 前半は若手の発表、後半は講演でラインナップは以下の通り。

午前の部 10:00〜12:00
研究発表
明治知識人と梁啓超
 山口るみ子(國學院大学文学部兼任講師)
宇佐美灊水の慎刑について:
 坂本頼之(東洋大学文学部非常勤講師)
方相氏の原初的性格:
 高戸 聰(東北大学中国学専攻後期課程)

午後の部 13:00〜16:00
基調講演
シャバンヌ 満鉄に乗る−光緒三十三年河北調査行考証−:
 菊地章太(東洋大学ライフ・デザイン学部教授)
中国の西部大開発をめぐる諸問題:
 阿部照男(東洋大学経済学部教授)
『四庫提要』について:
 呉格(復旦大学古籍整理研究所教授・同図書館古籍部主任)
 通訳・三浦理一郎(専修大学文学部非常勤講師)

研究発表雑感

 まず山口発表は発表部分を聞きそびれたので、実際のところは分からないけど、レジュメを見て、質疑応答を聞いた限りではまだ手に付けましたといった程度。というのも、レジュメには当時の日本語から中国語に訳されたリストの紹介はあるものの、実際にそれらのテキストを提示し梁啓超のテキストの比較を行ったりまではしていない。どんな影響関係があったかはその部分ではじめて論じれるはずなので、読んでいたから影響はあったのだ、というのはやはり弱い。僕が最近研究を始めたのは、宗教方面だけど同じような問題を抱えているので、こうした研究がもっと進んで欲しいのだけど。とりあえず文献に飛び込んでみればいいのに、と思った次第。
 次に坂本発表はあんまりよく分からない江戸儒学のものだったけど、何度か聞いてるというのもあるけど、プレゼン自体最初の頃よりずいぶん分かりやすくなってました。こちらは宇佐美灊水と太宰春台の比較をきちんとしている。ただ残念なことに、前者は意見書やQ&Aで上司(藩主とか家老ね)との対話が前提とされているテクストなのに対し、後者は学術論著として書かれており、両者のテクストとしての性格はずいぶん異なる。これを考慮して比較しておらず、それがかなり大きな問題ではないかと思った次第。というか質疑でその旨発言。するとすでに先行研究ではそう指摘されてるんだと。宇佐美テキストには普遍的な問題を論じたものとして扱えないとかなんとか。それで複数のテキストを用意することでその問題を回避したつもりというのが回答でした。時間がなかったのでそれ以上の議論はできず消化不良に終わる。というのも、普遍性に問題ありと言うなら太宰テキストでもであっても問題は同じなのだ。特定の読者が想定されていることには違いがないので。そこまでを射程に入れた上で比較しないと彼らの法思想は論じれないのではないかと思うんです。聞いたかぎりにおいては、宇佐美テキストを家老との対話までを含めて見取り図を描くと、それはほぼ太宰テキストの議論の範囲に落ち着く、つまり太宰理論の実践的継承として宇佐美テキストがあり、両者の思想的な差異をそこにおいては認めがたいということになりそうな気がする。門外漢なのにこんな勝手なこと書いていいのか。。。ま、いいか。まあそもそも、それぞれの「法」概念と実際に想定していた「法」の内実がまったく問題とされてなかったので、本丸に攻め込む前段階といったところなんでしょう。このあたり、テクストをどう読むかという問題は同じように抱えてるわけで、目につくあらは結局自分のクリアすべき課題だったり。日本のことも白隠禅師絡みで見ていかなければならないので、いろいろ勉強になりました。
 高戸発表は専門的には一番近いはずのだが、現在の僕の興味からは少し外れていてあまり力を入れて聞きませんでした。えー、いいのか。発表はいちばん古典学らしい文献渉猟もので、安心できるものの、人類学方面の知識はかなり豊富なはずなのに、そうした方面の業績をまったく顧みず論を構築していて何だかなと思った次第。後で聞いたら、そうしないと中国学方面の人には受け入れてもらえないからあえて封印してるのだとのこと。正直、少し引きました。そんなかたくなで議論を狭めてどうするんじゃろ。せっかく神話をやってるんだからもっと破天荒な方がおもしろいと思うんですが。それに議論の行う地の文では結局そうした成果というか知識に寄らざるを得ないのに、例えばそれこそ宗教的儀礼と言った瞬間にアウトでしょう、無視しようとすると無理が出ると思いますけど。

基調講演雑感

 まず菊地講演は、20世紀初頭のフランス中国学者シャヴァンヌの中国調査を中心に、同時代のロシアと日本の中国学者の動向も併せて言及した評伝もの。菊地さんは、このときの調査を元に書かれた『泰山』の日本語訳*1をされているのです。
 1907年、開通して間もない満鉄に乗って中国調査にやってきたシャヴァンヌに、それに同行してきたロシア中国学の父アレクセーエフ、同時期に同地域に来ていたがそのまますれ違ってしまった桑原隲蔵*2宇野哲人*3などなど、最近この時期の研究史に興味がでてきた僕としてはたいへんおもしろく聞かせていただきました。質疑では、調査行にあたっての、中国人学者との交流が話題になりましたが、どうも記録はないようです。このへんはペリオや、やはり同時期上海にいた狩野直喜*4には言及があるとか。あう、ちゃんと読まないと。不勉強でいかんです。
 阿部講演は経済開発関連のフィールド報告ネタ。内容はネットなどでよく見聞きするようなもので、さほど新味はなかったです。新味が感じられなかったということは、同じようなことを研究している人がそれなりにいて、一般的な情報としても流通しているということでしょう。他分野の研究者としては、こうした調査成果を同分野の研究者間でどのように共有しているのかというのが気になるところ。研究史的解説がまるでなかったのが残念です。見取り図や重要文献とか教えてもらえると、自分で少し調べてみようかなという気になったんですが。人文系だと汚職とか腐敗とか耳にしても、あーそれ昔から*5だよねといったような感想を持ってしまってそれでおしまいという体になりかねないですし。
(書きかけ)

懇親会雑感

 懇親会の雑感て何さ。いやいや、個人的にはなかなか充実しました。
(書きかけ)

*1:ASIN:4585020810:detail

*2:ISBN:4003810317:detail

*3:ISBN:4061597612:detail

*4:http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~takata/Kano.pdf

*5:それこそ1000年単位で