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内家拳の階梯

 練習靴を買うために都内にお店がないか探していたときのこと、渋谷駅近くに太極拳の看板を出した雰囲気出してるビルがあって、ひょっとしてと調べてみたら武道用具店とかではまったくなくて、全日本柔拳連盟*1という団体だった*2のですが、そのサイトに八卦掌の解説があったので見てみるとちょっとおもしろいことが書かれていました。
 

 何でも八卦掌

高度な拳法なので、柔拳連盟では太極拳・形意拳の稽古がかなり進んだところではじめて八卦掌の伝授に入る。

のだそうです*3。実際に「太極拳とかすっとばして八卦掌とはすごいね」とかそういうことを言われたこともありました。うみゅ。
 
 さて確かに、『拳意述真』なんかでも自序に「形意・太極・八卦の三派は形式は異なるが、その果てにある道との合一に至る道のりは一つである」とか述べています。しかし、三派に高低は認めてなかったような。では、最近になって誰かが言い出したのかどうなのか、どういう経緯があるのかしらんと思っていたところ、意外にこういう考え方は古いようです。
 というのも、徐哲東『国技論略』(1929年)にすでに内家拳の階梯について記載がありました。

 一般に武術を習う者は、すでに師について学んでいる場合、何をどういう順序で習うかは当然師の指導によるのだが、教える順序については大抵の場合同じである。そこで各門派を総合して、仮に標準的なものを定めた。この順序を参考に修行をすれば、進歩のしやすさを実感できるだろう。
 甲:内家拳を学ぶ者は、まず最初に形意拳を学び、次に太極拳を学び、その次に八卦掌を学ぶ。太極拳で日々推手をよく練習すれば、八卦掌を学ばなくてもよい。というのも八卦掌は敵に相対するにあたってたいへん有用なのであるが、推手に習熟すれば、敵への対応が自然と神妙な変化になる。八卦の意念の用法もそこに見いだせるのである。
 乙:外家拳を学ぶ者は、……。

 この記述によれば、八卦掌はやはり高級なものという位置づけになっているのですが、同時に必ずしも習う必要はないとも書かれています。これは、著者の考えが、技術的な基礎を形意拳におき、太極拳と八卦掌をその発展形と位置づけていることによるものでしょう。つまり実際は形意拳をもっとも価値があると考えている、ということではないかと思われます。
 またこのように三者を同じパースペクティブのもとに位置づけることができ、また道との合一という目標も共有されると理解されているということは、やはり基本的な部分、基礎的な練功によって達成される「武術的身体」みたいなものについて、少なくとも当時は、それぞれの門派で大きな差がなかったことの証明ではないでしょうか。

*1:http://www.taikyokuken.co.jp/index.html

*2:業界では有名なんですね。渋谷駅の側と言ったら知人は知っていました。

*3:http://www.taikyokuken.co.jp/annai/hakkesyou.html