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梁派八卦掌の口伝と走圏(2)

張全亮『八卦掌答疑問』、北京・人民体育出版社、2004年

 著者は先*1に紹介した李子鳴氏のお弟子さんです。同書は、『中華武術』『精武』『武魂』『武林』といった武術雑誌上で行った著者と読者との質疑応答を元に編集されたもので、八卦掌に関する理論的背景、養生的側面、口訣歌訣の解釈、具体的な練功方法、掌法の要点などなど合計で426問ものQ&Aが掲載されています。ですので、この書も八卦掌の理論について考察する上で重要な資料ではないかと思います。
 

 さて、張全亮氏は自身が指導表演しているVCDとかも出版してますので、資料で語られている内容が実際にどう実践されているかを客観的に確認することが可能です。しかし内功の内実を平板なビデオ映像で確認できるか(写真よりははるかによいでしょうけど)、初学者の僕には正直おぼつきません。また仮に判断し得たとして、張全亮氏自身の強さがその八卦掌に由来するのか個人の才覚に由来するのかどう判断するのか、といった問題があり、これはどうしようもないんじゃないかと思います。この問題を考えると、やはり資料に拠った議論以上のことは客観的なものとして提示できないんじゃないかと思います。まあアカデミックな立場であっても「客観的」なものの提示に拘泥しなくてよいということも言えなくはないでしょうか、最初に議論の基準を示さないことには、次に続かないので、やはり拠るべきところを、後でそれをひっくり返すような議論をすることになろうと、ともかく手続きを踏んでおく必要があるわけです。あうあう。
 

走圏練功時の意念の用法

 さて、ここでは八卦掌の根幹となる走圏について、張氏がどう位置づけているのか、特に意念を用いた練功法についての質疑を引用しておきましょう。

216.八卦掌の神意練法とは何ですか?八卦掌の神意練法は何種類ありますか?神意練法各々に課している目的は何ですか?
 
 いわゆる八卦掌に独特の神意練法とは、走圏を行う際に外側の形式が変化しない状態で、独特で、通俗的で分かりやすく、おもしろい比喩によるイメージで、神と意の深みから両脚を指導し、規範化し、強化する走圏の功夫である。ここでは師から教わったことと自身が長年実践体験してきたこととを合わせて、以下の八種の神意練法とそれぞれの練法で達成すべき目標を紹介しよう。
 
(一) 撑船篙(船に棹さす)
 これは走圏の時に、自分の前後両脚を船と棹に見立てる――前脚が船、後脚が棹とする――ことで、走圏で回るときに、一歩ごとに、意図的にでなく自然に、清らかで静かな湖面の上を船がすすんでいく光景をイメージする。後脚は棹が棹さすがごとく、前脚は船が前に進むがごとく。これを反復練習する目的は、普段歩くときの「揭踪」(かかとをあげること)と「亮掌」(足裏をばたつかせること)双方の習慣を改変し、自然な平穏な力を練功することにある。
 
(二) 履薄冰(薄氷を踏む)
 これは走圏の時に、意図的にでなく自然に、自分が常に踏み割って水没しそうな薄氷の上を歩いているとイメージする。精神と肉体の力を高く集中させなければならず、普段歩くときのように、気ままに前に進むことはできない。一歩進むごとに重心のすべてを後脚に載せ、前脚で氷の厚みを探り、体重を移しても大丈夫か確認する必要がある。重心は後脚から前脚に少しずつゆっくりと移していき、氷が突然陥没するのを防ぐようにする。とはいえすでに薄氷の上を歩いているのだから、前脚と後脚のどちらもが水没する可能性がある。だから、前脚には虚中に実があり、後脚には実中に虚がなくてはならない。軽々しく重心を前脚に移してはならない一方で、なるたけ早く重心を前脚に移さなくてはならない。これは心理的精神的に矛盾を生じさせる。しかし正道と奇道があいまって*2、長く練習するうちに毛の先までも集中するような移動の力となる。
 
(三)搓麻縄(麻縄をよる)
 これは走圏の時に、意図的にでなく自然に、地上に麻縄が置いてあって、両脚を交互に前にすすめる時に、麻縄をよって歩くようイメージする。脚が地面よりあまり高く離れていると縄をよれないし、地面とあまりにぴったり接触してしまえば縄が動かないので、虚実が適切でなくてはならない。この練功は、両脚をすすめる時に平穏で自然に行えることを基礎として、さらに一歩進めた精妙な虚霊の力である。
 
(四)趟泥水(泥中を歩く)
 これは八卦掌でよく言われる「趟泥歩」である。歩く時にふくらはぎまでが泥中につかっているのをイメージし、ただ「三里穴」(膝眼の下三寸)を意識して前に進む。抵抗を克服して前に進むも、泥水がはねないようにする。これは両腿・膝・足を鍛錬するための穏健な力である。
 
(五)踢門坎(敷居を蹴破る):
 これは走圏の時に、意図的でなく自然に自分の前方に敷居が横たわっているのをイメージし、前に進むにあたってまたぎ越えるのでなく、敷居を蹴破って進むようにする。これは「趟泥歩」の「武火」練功法である。この方法は足先まで力を貫くような蹴りの力を練功するためにある。
 
(六) 踩游蛇(蛇を踏みつける):
 普通の人はみな蛇を恐れるので、見かければ心が震えてしまう。しかしもし毒蛇があなたの目の前を蛇行して進んできたなら、あなたは両脚で蛇の頭(七寸のところ)と尾を踏んで、逃がさないようにして、蛇を踏み殺し、咬みつかれないようにしなくてはならない。これには勇敢で、敏捷で、軽妙でなくてはならないし、また安定していて、正確で、激しくなければならない。またこれを習う者は走圏のときに、両脚で途切れることなく、蛇の頭と尾を踏みつけ続けることをイメージしなくてはならないと言われる。これは危機的状況での度胸と鋭敏な感覚力を訓練するためのものである。
 
(七) 騰空走(虚空を進む):
 騰空走は上述の六種の功夫による一定の基礎ができた後に、円形にレンガを立てるか杭を埋めて、両足をその上において地上から離れて虚空を走圏するものである。その身体や足の動かし方は地面の上で走圏をする際の要求と全く同じだと思われるが、その難度はより高く、初めて走圏の練習をするに等しく、しかも歩く高さを高くすればそれだけ難しくなる。これは総合的な平衡感覚を鍛えるものである。長く訓練すれば胆力、気力、精神力、身体能力それぞれと内外三合がすべて一段階上のレベルに到達し、人体に潜在する中正の力を開発するのに効果がある。
 
(八) 負重行(重荷を背負う):
 負重行は上述の七種の練功法の訓練を基礎として、さらに難度の高い中正の力を訓練するもので、走圏のときに両手と両足に荷重をかけるものである。最初は普通に地面の上で練習し、次にレンガや杭の上で練習する。この練功法は精神力、気力、功夫に対するより高いレベルでの鍛錬と試練である。しかし、重しは必ず順をおって段階的に、軽いものから重いものへとゆっくり順応させていかねばならない。むやみやたらに練習してはいけないし、上述した走圏の基本訓練を行うことなしに練習してもいけない。でないと簡単に身体を硬くして壊してしまう。八卦掌と太極拳はどちらも軽妙さと自在さを主に訓練する。適度な負荷による練習は、身体各部の動きの軽妙さと自在さをより高いレベルにあげるためで、稚拙な力を身につけるためではない。負荷の方法については、足には砂袋をまいたり鉄の靴を履いたりし、手にはレンガか泥を持つ(まず粘土で泥団子をつくり、穴を開けて乾かし、手で掲げて走圏をし、泥団子を次第に大きくして、最後は土レンガ大の大きさになるまで練習しつづける)か、または腕に鉄輪をはめて、数を次第に増やし、重さを次第に増していってもよい。つまるところ方法はたくさんあり、自分で選んでよい。
 
 上述の騰空走と負重行は条件が揃わなかったり体力に問題があるときは、ただイメージ練習だけで、実際に騰空走や負重行を行わなくてよい。また最初から道具を使わず、意念よる練習だけでもよい。
 
 また上述の趟泥水と踢門坎の二つの意念による練功法は似たようなところがあって、ただ一方は「文火」――これが趟泥水、一方は「武火」――これが踢門坎であるだけである。実際には趟泥水の中に踢門坎があり、踢門坎の中に趟泥水があって、意念の軽重によって分けているに過ぎない。だから練功時にはどちらか一方だけを選んで練習するようにする。例えば、軽重の意念の配合を考慮して、「踢門坎」だけ選んでもよい。というのも上述の八種の意念による練功法のほとんどは意念が比較的軽い練功法であるからだ。もしそう選択した場合は、「趟泥水」のかわりに、「猫捕鼠」(猫が鼠を捕らえる)の神意練法を行うようにするとよい。
 
 猫が鼠を捕らえるときは、万に一つの失敗もなく、素早くかつ正確なのだが、決して捕らえてすぐに鼠をかみ殺したりせず、捕らえては離し、離しては捕らえ、と弄びつくしてから、最後に食べてしまう。手技を繰り出すのは、精神や気質からみれば猫が鼠を捕らえるようでなくてはならない。楽しみかつ素早く戦う力を練習するのである。
 
 以上のような八種の意念による練功法は、次のような二種類の順序に並べることができる。
 1.撑(船篙)、履(薄冰)、搓(麻縄)、趟(泥水)、踢(門坎)、踩(游蛇)、軽(騰空走)、重(負重行)。
 2.撑(船篙)、履(薄冰)、搓(麻縄)、踢(門坎)、捕(猫捕鼠)、踩(游蛇)、軽(騰空走)、重(負重行)。

*1:http://d.hatena.ne.jp/nomurahideto/20060915/p1

*2:原文「奇正相生」、『孫子』兵勢第五参照。