胎内をくぐるとそこは近代工業だった。
現代アートの後は伝統アートということで、もろさんチョイスでお寺めぐりに。行ったのは美濃国分寺*1と金生山星輪寺*2です。どっちもよかったですが、後者は特にリアル天命反転地といった感じで実にすばらしいものがありました。
こちらは美濃国分寺の重文、薬師如来です。迫力ありました。水子供養で有名らしく、熱心にお参りに来ている人たちもいて、すぐそばの美濃国分寺跡地と対照的でした。天命反転地で神様に会える人はこういうところで神様に出会ったりしないんでしょう。
こちらは虚空蔵菩薩がご本尊。石彫の重文とのことですが残念ながら開帳してなく、本堂奥の岩屋に安置された摩尼宝珠を拝むところまで。蛇に守られた(というか開山縁起からすると蛇から守っている?)摩尼宝珠というのはモチーフとしてどんぴしゃです。かっちょえー。
それから算額も見ました。生は初めて。つーか問題難しい。最高難度レベル10三問のうち1問は女性が書いてました。算額って数学(を解く知性)を神の領域においてる感じがしてステキです。
実はお寺まで登ってくる途中に採掘場があって、何だか騒々しいなあとは思ってたんですが、失われた胎内くぐりで一汗かいたあと、裏山を探検したところ、文化財の寺の後ろは、
こんなんなってました*3。その奇観にしばし呆然、そして興奮。意図して作ったものではないものであれ、幾何学的で人工的な美というものを感じてしまいました。変な石にあこがれて庭にどすんと持ってくる庭園の美学とそんなに違うだろうか。寺の残っている山側のふもとは住宅街が広がっていました。それこそあの世とこの世の境界のように。近代文学が現実に斜め上を行かれたように、現代芸術も現実に斜め上を行かれてるんだなあと思った次第です。