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走圏とミラーニューロン

 日経サイエンスの2月号に特集「ミラーニューロン自閉症」の記事を読んでいて、走圏で練習していることってミラーニューロンを鍛えてるってことなのかとおもしろく詠みました。
 ミラーニューロンというのは、特定の行為を行っているときに反応するニューロンのことで、自身が行動する時以外に他者が同じ行為を行っているところを見ている時も反応するそうなんです。このミラーニューロンの働きにより、他者の行為を見ている者も脳内で直接同じ体験をするため、他者の行為や意図、勘定などを理解できると。ミラーニューロンと呼べる特殊なニューロンがあるというよりもそういったシステムが構築されていて、それがどうも、他者の行動を学習したりその意思を理解したりする基礎となってるようなんです。
 他者とは分かり合えないという哲学的議論が腑に落ちなかった僕としては、ほらみろーと思ったりもするんですが、この考え方だと八卦掌の、というより中国武術全般の学習プログラムというのが存外合理的なものだと言えるんじゃないかと思った次第です。
 

 というのも、あらかじめ人間には基本的な行動のミラーニューロンはセットされているそうなんですが、それ以上となるとやはり後天的に学習するしかない。で、走圏で要求されている身体の動かし方は日常的な使い方から逸脱しているので、ミラーニューロンがおそらくないんでしょう、はじめは見ていても何をやっているか分からない。ところが自分で練習をするようになって、時間がたってくると、何をしているか分かるようになってくる。これ、自分が行動することでミラーニューロンが自分の中に形成され、見ても学習できるようになったということなんじゃないでしょうか。看取り稽古の大脳生理学的理解。えー。
 もちろん個別の行動に腑分けすれば理解はできるので、いきなり見よう見まねをしても何とかなるわけですが、目で見えているのとは違う状況が身体の中で進行しているので、いや気をめぐらせてとかそんなんじゃなくて力の入れ方とかもっとフィジカルなお話です、先生から実はこういうことをしているんですよということを習うことで、見た目から分かる行動に意図が加わり、走圏のミラーニューロンが形成されるようになる、とかなんとか。
 してみると、気や筋というのは身体感覚に関わるミラーニューロンの局所的表現ではないか、とも思えるのです。もちろん学習において、行為者の意図が重要である以上は、気や筋を伝統的な言説そのままに理解することが実践上有効であることは疑いないことなのですが、オカルトでおわらせずに議論することの必要性も僕はあると思っていて、特にアカデミックな議論では気についてともかくあるのだということにするか、全部括弧に入れておくかの両極に分かれてしまいやすいし、こうした科学的な知見はかなり有効だと思います。って、科学的な知見を濫用するのもオカルトの得意技でしたね。うーむ自戒せねば。
 
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