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李老師の教授法

 講習会では、李老師は意図して生徒では実行できないレベルの技法と体認できないレベルの理論を教えられているとのこと。練習が終わった後に、今日の講習はどうだった?と聞かれ、おもしろかったし、できないことが分かりました。前はできてないことすら分かりませんでしたので、少しは進歩したように思います、とお答えしたところ、李老師は破顔一笑され、それはたいした進歩だね、と言ってくださいました。
 

 同席していた夏目さんも、そうなんだよ、先に進むとますますそう思うようになるよ、と。李老師はうなずいて、自分だってそうだ、于老師を見ていると、自分が全然出来てないことが分かる、との由。えーと、レベルが。。。結局1年1年積み重ねたものが出るのだから、練習あるのみだよとのことです。
 その流れで、どうも李老師の語られ様から、教え方を試行錯誤されてるように感じたので、こうした教え方は馬貴派のものなのでしょうかとお尋ねしたところ、いやこれは私のオリジナルで、大学で教鞭を執っている経験からこうした教え方をしているんだとのお答えが。于先生は、やはり伝統的な教え方なのでしょう、理論はあまり教えてくれない由。つまり伝統的な思考を基礎としつつ、現代化を図っているということなのでしょう。実に興味深い構想です。現在、仕事をぐっと減らして空いた時間で八卦掌に関する本を執筆されているそうで、こうした李老師の思想がどのように結実しているかものすごーく楽しみです。
 というもの、もとより伝統的な武術を記述するときには、練功や技撃を分節化して定義づける傾向にあって、もちろんこれは体系化をする際にはどのような知においてもしばしば見られる普遍的な方法ではあったわけですが、現代(というか近代以降)においてはそれがさらに推し進められ、武術においては、各流派の動作を切り分けて各派に共通する動作のパーツを抽出して中国武術総体として再構成するようなところまで来てしまいました。そうしてしまう知のあり方もまた興味を引くわけですが、そのような分析的手法でおっことしてしまうものの方に神髄があるのでは?と思って、そうしないための記述法を考えてみたりしていたわけです*1。李老師の現在の教授法はそうした伝統技術の継承モデルの一つとして理論的に位置づけることができそうです。夏目さんによれば、現在の教授法は遠藤老師と会われてからでないか、とのことですが、そうだとしたら幸福なマッシュアップだったのだと思います。遠藤老師との教授法との差異を考えてみるのもおもしろそうです。
 ところで、そのように教授法すら工夫されている李老師は中国では教えられているのでしょうか。お尋ねすると北京では教えていないんだとか。というのも講習会を開いて人がたくさん来ると自分の練習ができないから、だそうです。北京では屋外で練習しているが、その近くで体育大で八卦掌を教えている程派の先生が学生たちと八卦掌の練習をしているけど、その人は僕の走圏をみて、あんなのろのろしたのはダメだと言ってるよ、と笑われてました。ただ、故郷の河南ではずっと教えられているそうです。八卦掌は教えてもう20年とかで、最初自分の友人2,3人だったのが、現在では100人の生徒がいるそうです。ちなみに馬貴派自体は教え初めて3年くらいだそうです。生徒さんには老若男女いて養生目的の人が武術目的の人よりも多いそうです。北京で練習するのもいいし、伝統的な中国の空気が残る河南で練習するのもいいよ、遠藤老師と相談して一度おいで、とのことです。うううううう、行きたーい。

*1:http://d.hatena.ne.jp/nomurahideto/20070203/p4