Under the hazymoon

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僕の身体、歪んでます

 今日は普通に教室で走圏から。小さい部屋なので複数で回ったり、隣の部屋で劇団ががやがややっていたりで、全然集中できませんでした。うう、修行が足らんの。
 

 李老師自身意識的に高めのレベル設定で敢えて教えられているわけですが、ポイントはもう一つあって、これはあるいは李老師自身意識されてないかもしれませんが、李老師自身のレベルが上がって身体内感が変わってしまっていて、それをベースに教えてしまうと、李老師自身の想定よりももっとレベルの違いが大きい可能性があるということです。特に身体内感は変わってしまうとすでに前の感覚をもう一度感じることはできない(オートポイエーシスっぽい)から、上級者すぎると初級者の気をつけなければいけないポイントを落としてしまう可能性が高いわけです。これは遠藤老師や夏目さんがよく指摘することで、僕もおそらくそうだろうと思います。そうした乖離を勘定に入れて李老師のお話を聞けば、もちろん初級者として力を入れるべきポイントについてもきちんと教えてくださっているわけですが、その腑分けをするための力を初級者はそもそも持っていないというアポリアが。
 そんなわけで、遠藤老師が李老師のご指導のポイントを抜き出して、僕たちが学ぶべきことがどこにあるかかみ砕いてくださるわけです。もっともこれも遠藤老師のレベルがどんどん上がると、同じ問題が生じるわけですが。えーと、自分がもっと練習すればいいんでしょ、というつっこみはなしで。これ、原理的な問題でもあるので。指導者(≒中級者)育成にそういう橋渡し的意味があるのだ、というのは夏目さんが書かれた通りと思います*1。もっともその場合、中級者間に生ずるばらつきをどう解消するかという問題は残るわけです*2。山の頂は一つなので、頂上を目指すという点で迷うことはなくても、二合目三合目では歩けるルートがたくさんあってかえって迷いが生ずるわけで、そうなると結局初級者の方に見る目が必要に。。。と同じ問題がまた出てきます。そう考えると、李老師の高いレベルの理論を最初に与えるというのは一つの解決法としてすぐれているように思えます。高い基準を頭ででも理解しておけば、教わったことを取捨選択できるようになるからです。いやまあ、あくまで理想としてはですが。
 その意味でも、今日の練習で、遠藤老師が日頃僕たちの姿勢を修正しているのはどういう状況なのか、参加者の一人を取り上げて見せてくださったのは、実に勉強になりました。遠藤老師がその参加者の腰をぐいっと押すと背筋全体のラインが明確に変わるんですね。おお、そういうことかと納得。李老師が姿勢を修正されるときも、あごを押したり、胸をつまはじいたり、手を引っ張ったりする程度なんですが、おそらく同じように全体が変わるんだろうな、と思った次第です。
 ところで、今日も今日とて遠藤老師に腰をぐいぐい回されました。どうも姿勢が伸びていたようです。直されると確かに腰と足への負荷がぐーんと増えました。自分で正しいと思えてる姿勢より一歩踏み込んでよりきつくやった方が正しい、ということなんでしょう。もちろん負荷をかければいいんだと思って正しい姿勢を崩してしまうと元も子もないわけで、毎週見てもらえるありがたさというのはこういうところにあるんだなと再確認。
 で、遠藤老師にぐいぐい修正されているときに、左肘の内側が痛くなってきました。おお、走ったときに出た痛みと同じ箇所!*3ようするにバランスを取ろうとして腕に頼って力が入ったからで、身体のゆがみからその症状がそこに出たってことですね。思い起こしてみれば、時折熊形走圏のときに左腕がしびれたりしてたのも同じなのか。うむうむ。バランスが悪い自分を発見して喜んでる場合じゃないんですが、ちょっとおもしろい。

*1:http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2007/02/post_50c3.html

*2:http://d.hatena.ne.jp/nomurahideto/20070203/p4

*3:http://d.hatena.ne.jp/nomurahideto/20070210/p1