nomurahideto's blog

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己を知り彼を知るゲーム

 最終日会員向け講習会では、サプライズな指導内容がということでしたが、何と対練でした。指導者講習で対練してるとのことだったし*1、この火曜日の教室でも教えてもらってはいたのですが*2、それをがっつりやることに。ひー、うれしい悲鳴!
 

 さて、八卦掌ではその全てが走圏とその次の展開である単換掌にすべて含有されているわけで、では対練のように向き合って練習することにどんな意味があるかというと、それは「己を知り彼を知る」*3、つまり互いに出来不出来を確かめることにその主眼がある、のだそうです。自分と相手の虚実・剛柔・長短・順背を知り、足りないところが分かれば、それを単操で補うのだと。で、この単操は単換掌や双換掌から抽出したもので、結局その出来不出来はそのまま走圏の出来不出来となる。ようするに単操や対練も走圏の延長線上にある、ということを理解して行いましょう、ということでした。実際、対練そのものには何ら練功的要素はないとの由。
 正直、まだ早くないかしら、と思ってたのですが、大体習い始めて1,2年で対練を行い、自分の出来不出来を確かめてからまた練功に戻り、しばらくしたらまた対練をして確かめて、の繰り返しなのだそうです。でもなあ、この1,2年というのは、例によって1日2時間とか練習しての、でしょうし、後述するようやはり大変だった。。。あ、大変じゃない練習なんてそもそもなかったっけ。ひー。
 
 今回行った対練は、単換掌から抽出したものとその変化、穿掌、順勢掌から抽出したもの、擒拿、だったかな。実は品川不良グループで二次会に行くのに李老師も来られるというので、人数が増え、さあいざお店へと思ったら、公園で練習しましょう、という李老師の提案があり、ホントのサプライズ、対練ワンスモアで、駅のそばの公園で、穿掌+帯手、の練習を行ったのでした*4。ふはっ。その後また飲みにいって、さらに僕はN師姐と3軒目に行ったのでした。おいおい。
 
 で、以下その報告。「知己知彼」ということでしたので、僕自身の問題と、相手の問題とについて、僕の感じたことを書いてみようと思います。相手をしてくれたお二方はどちらもこのブログを読まれてるようなので、できれば同じようにコメント欄にでも同じようにそちらから見た自分の問題と僕の問題を書いてくだされば、と思います。もちろん、答え合わせというのではありません。互いに感じたことはおそらく一致しないと思うんですね。ではどちらが正解か、というとそういう問題ではないと思います。だって個々人の練度も違うし身体も違います。で、高い練度の人からみて正しいことも、低い練度の人からみれば、ぴんとこないことはよくあります。この場合、低い練度の人の感覚を間違ってるといっても仕方ないわけで、李老師はいつも「まあそのうち分かるよ、練習しなさい」とは言われるけれど、どう違うかは言われないんですね。つまり感覚のずれを通じて、自分自身でより自分の問題を把握できるということに価値があるのだと思います。このへんも一人じゃない対練のいいところではないかと。読まれて勘違いしてんなーこいつと思っても、それはそれとして受け取っていただければ幸いです、はい。

 ということで、まず単換掌の対練ですが、互いに馬歩が高かったように思います。夏目さんはこれがいちばんきついと言われていて、僕も理屈としてはそうだろうと思うのですが、僕には後述する穿掌の対練の方がきつかったです。というのもこれは比較的要求を満たす努力をすることが簡単なんですね。えー簡単にできる、という意味ではないです。姿勢として足の方が前に出ているため、相手を撃とうとしたりできないため、足をかけてつぶそうとかはできるかもしれませんけど、そんなこと考えない限りは、単換掌の練習の延長上として簡単に設定できて、要求に集中できる、というわけです。もちろん要求を満たしたり、とかは別のお話。
 次に穿掌の対練ですが、僕にはこれがいちばん問題でした。僕の問題としては、まず前に出した足がしっかりかめない、手がまっすぐ出ない、手足がいっしょに動いてないと惨憺たるもの。腰なんて全然充実なし。現在の僕のレベルでは、ゆーっくりやらないと、こうした問題に気を回せないんですね。ところが早くなっちゃう。この原因はやはり相手を打とう打とうとして気があがっちゃうからというのが第一ですが、ただ僕のお相手にも問題あるように思うのです。どうも、機先を制して先に打とうとしたり、こちらを崩そうとしたりしているように感じられました。するとこちらもついついのせられて、より早く打とうとしちゃう。というのもゆっくり出すと押し込まれちゃうんですね。これ公園での穿掌+帯手のときも同じように感じました。とにかくこちらを崩そう崩そうとしてくるように思えるんです。おそらくお二人とも武術の心得がいろいろおありなので、そういったことを織り込まれてるようなんですね。こっちがのろいのもいかんちゃいかんのですが、こっちの遅さには合わせてくれないんですね。ちとつらい。穿掌デフレスパイラル
 でも対練の練習は、なかんずく今回やったようなものは、走圏で得ている動作と力以外を使っては意味がないわけで、僕が対応して上乗せできる武術の心得とか持ち合わせていればよかったのかもしれませんけど、そうじゃないんですし、結局李老師が言われるような「気持ちいい」感覚はなく、僕自身は正直あんまり充実感なかったです。実際、どちらの方も手を合わせた次には意識的にか無意識的にかこっちの腕をねじろうとされるし、僕もそこでぐっと腰を入れて対応できればいいんですがそんなことできなくて、結局バランスを崩しちゃうんですね。困ったことにそういうねじりが入るか力を全然入れないかの二択の対応で、ちょうどよく持つというオプションがないもんですから、じゃあ力を入れてもらってやると、結局スムーズに練習できなくなってしまう。そうなると申し訳なく思うのですが、力が上に入りすぎてへろへろになっちゃって、そのまま次の穿掌に移ると、目線も穿掌をさだまらなくなる体たらく。定まってないとやりにくいと公園でのお相手には指摘を受けた次第です。これは僕はどうも自覚がなかったもんですから、指摘してもらって有り難かったです。
 そうそう、腕のねじりでした。では、李老師が同じようにもたれたときはどうかというと、ねじられるという感覚はほぼなく、そのまままっすぐもたれ、そしてまっすぐどすーんと直滑降で引っ張られるんですね。対練の相手をしてくれたお二人に引っ張られたときは何だか巻き込まれるような感じで、これはどうも力の感覚が違うんじゃないかと。あくまで僕がそう感じたまでですが、しかし手を合わせるにしても李老師の方が僕持ちやすかったんです。もちろん李老師もいろいろわざはお持ちで若干こういうこともできると見せてくれるわけですが、それはあくまで余技なわけです。結局は、僕たちの練習においては、走圏の延長としていかに対練を行うかというところに力点をおくべきではないかと思うわけです。そのへん噛み合わなさを感じました。もっとも、そういう僕自身もいかに走圏の延長としてできてなかったかは、腕の筋肉痛に如実に出ております。肩と腕に力いれすぎー(>_<)
 順勢掌の対練については、これは手だけで起こそうとしたり、手だけで降ろそうとしたりして、縮こまってしまい、肩から手までしっかり開くようにと李老師からご指導いただきました。手を降ろそうとしするときは何とか開く努力ができましたが、起こすときは全然だめ。李老師には腰はあんまり使わないで、と言われてたのに、李老師自身は思いっきり腰回ってたような。実際はっきりと回さないと現在の僕にはできません。このときは、相手の方については意識が回ってませんでした。「展開ー展開ー」とそればっかり考えてました。
 擒拿の対練については、最初手をひねられてしまって、回してくんないのかと思っていたら、李老師からきちんと中正で手をしっかり伸ばす、という同じ課題が。で、それをやると、おお耐えられる。ところがそうなると今度は相手の方が回りきれずに、背中が崩れてしまうことが何度か。腕を単に強くにぎるんじゃなくて加減して滑って回るようにされた方がよかったんじゃないかと思っていたんですが。相手の手をねじるかどうかより、そういう動作をするときに自分の中正を保てるかどうかの方が大切なのではと思った次第ですが。もっとも李老師は赤く腫れ上がるまで力を込めて握るのだと言われてましたけど。うーん、それはちょっときついです。
 李老師は体格が同じくらいの者同士で行うことは注意されていました。あまりに違うと標準的な姿勢で練習できないからでしょう。しかし、各人の経験の多寡はあまり考慮されてませんでした。お伺いしたら、レベルの違う者同士がやっても、それぞれ得るところがあるから気にするな、との由。しかし夏目さんと話してましたが、李老師からみればみんな大差ないからそういえるけど、こっちは考慮しないとつらいんではないかと。象から見れば軍隊アリもクロアリも同じアリですが、アリ同士では死活問題です。いろいろ心得ある人はある人同士で、養生第一の人はその人同士で、の方が互いに幸せなんじゃないかと。しかし男子は養生第一の人、少なそうですね。「好漢怕三穿」(豪傑も三穿掌を恐れる)と李老師は言われましたが、豪傑じゃないけど穿掌恐いですし、やってるうちにこちらもそれなりに好戦気分になったりするんですが、僕はそういう自分があまり好きではないのです。
 ともあれ、しんどいながらも充実し、李老師のお言葉通り、もっと走圏がんばらんといかん、ということはものすんごく実感できた次第です。またこういう思いをすると、日頃の遠藤老師のご指導のありがたみもまた一段と染みるものです。

*1:http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2007/02/post_5e44.html

*2:http://d.hatena.ne.jp/nomurahideto/20070213/p1

*3:元の『孫子』では「知彼知己者百戦不殆」、己と彼が逆になっています。

*4:http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2007/02/post_13b4.html