Under the hazymoon

http://researchmap.jp/nomurahideto/

人文情報学シンポジウム−キャラクター・データベース・共同行為−

 発表します*1。かなり自爆な内容。僕が言っていいものか、悩んだときは口にする。バカー。そもそも、準備が論文が、間に合うか、俺。最初からクライマックスだぜーという気分(違
 

全体の流れはこんな感じです。

  1. 情報化をめぐる困難
  2. 研究プロセスの情報化度
  3. 課題:先行研究の収集
  4. 課題:研究成果の発信
  5. 課題:研究業績の評価
  6. モデル:論文の情報化
  7. モデル:研究活動の情報化
  8. モデル:業績評価の情報化
  9. エコシステムとしての人文情報学

フルペーパーの事前提出はムリー。ごめんなさい。

1日目

 初日終了、非常におもしろいセッションでした。僕の発表は時間配分ダメダメなひどいものでしたが、発表を聞いたりその後みなさんとやりとりして、考えが整理されたり、貴重な情報いただけたり、と僕的にはハッピーでした。うう、次はもっとましな発表を。
 
 報告はもろさんがまとめているので、そちらを参照してもらうとして*2、僕は思いつくままざっくり印象を。
 ちょうど武術の関係から勉強し始めたところだったので、なおのことそう思ったというのもあるんでしょうけど、オートポイエーシスのようなシステムの記述が裏テーマになるかな、と思った次第。
 もろさんの発表では、テキスト以前の文字を扱う段階でそこにコンテクストが侵入している状況が指摘されつつ、同時にコンテンツというものを前提にする態度の不確実性と自己書き換え系としての書くという行為について議論がありました。書くという行為において文字が排泄され、その文字によって書くことが変化していくというのは、オートポイエーシスの議論に重なるような。江渡さんの発表で、Wikiとはプログラミングである、という定義も、書くことよりもコミュニケーションに焦点があたっているけれど、同じ地平にある議論に思えて刺激的でした。プログラム的な無駄のないテキストを志向するシステムから排泄されるノイズを僕たちは日々コミュニケーションとして認識している。。。
 上地さんの発表は、ツールとしての側面だけみても、中国古典の研究者にとっては究極の福音ともいえるもの。公開が待たれます。しかしおもしろいのは、フォントを吐き出すことで文字(の集合)システムが変わっていく、今現在利用され日々生み出される現場までも含めて記述できるということで、これ自体文字学の研究対象になるんじゃないかと思います。
 僕は、ちょっと視点をずらして、古典中国学における研究活動、資料収集から成果公刊までを一つのエコシステムとして情報化する必要性を、現実に中国学が直面している問題とからめつつ議論しました。論点をいくつもとりこぼしてしまいましたが。業績評価という視点から多く論じましたが、むしろ、研究者データベースを人名録のようなリニアなものでなく、SNSをモデルに点在する論文をはじめとする各種研究資源(原典の電子テキストとか画像とか)へのリンクを束ねることで記述する(このあたりシャノンモデルっぽい?)ものとして想定し、それが業績評価として利用することも可能である、とした方がスマートであったかと考え直しました。それ自体は現実の研究者と関係なく自動的に記述される、死者も参入可能なSNSとするわけで、これ、ようは研究者のキャラ化ですね。おお、つながった。

*1:http://coe21.zinbun.kyoto-u.ac.jp/ws-hi-2007.html.ja

*2:http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20070302/1171963661