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真理萌え

 井上円了の『仏教活論序論』*1の冒頭を読んで、哲学青年なところにぐっときて、ちょっときちんと勉強したいなと思った次第。以下の引用のうち、後半は先日の論文*2で参照しました。
  

 余、幼より世人とその好悪を異にし、人の楽しむところにして余かえってこれを憂え、人の憂えるところにして余かえってこれを楽しむ。故をもって、その旧里に在るや同郷の児童と共に遊ばず。およそ児童の楽は飲食遊戯の外に出でずといえども、余の楽はひとりしからず。出でて江山の間に入れば、草木の森々としておのずから鬱茂し流水の悠々として去りて帰らざるを見、心ひそかに怪しむところありて家に帰りてその理を思う。これを思うて達することあたわざれば、ひとり茫然として自失し、幸いにその理に達すれば微笑して自得の状を呈す。これ余が衆と共に群せざるゆえんなり。長じて学を人に求むるに及び、一見一聞みな余が感を惹起し、日夜黙座してただその理を思うのみ。そののち東京に入るに及び、ときまさに百家栄を競うの候にして、東台墨堤の春色、人をして狂せしむ。余これを見て感また感を加うるのみ。これ他なし、人は花の美なるを喜び、余は花のなにによりて美なるや、人のなにによりて狂するやを思うの別あるによる。品海に夏を消し、滝川に秋を賞するもまた世人の快楽とするところにして、余が感慨するところなり。けだし世人は事物の外形を見て、その形裏に胚胎する真理のいかんを問わず。余はただその理を思うて外形のいかんを顧みず。これ余が人とその感を異にするゆえんなり、これ余が衆とその楽を同じうすることあたわざるゆえんなり。
 およそ人たるもの、おのおのその癖するところあり。酒に癖するものあり、色に癖するものあり、武に癖するものあり、文に癖するものあり、いま余は真理に癖するものなり。月に対するも真理を思い、花に対するも真理を思い、山光水色に接するも朝煙暮霞に接するも、未だかつて一念一思の真理のいかんに及ばざるはなし。しかして自らおもえらく、わが生存するところの世界も、わが占領するところの身体もみな真理より成り、その日夜耳目に現ずるところのもの、またみな真理の影像なり。ああ、余は真理を呼吸して生活するものなり。ああ、余は真理を消化して生長するものなり。故に余は真理のためにあくまでこの心を尽くし、あくまでこの力を致さんと欲す。これ余が畢生の大願なり。けだし我人のこの世に来生するの目的、またこれに外ならざるなり。

 
いっちゃってますね〜(^_^;) でも共感しなくもない、というかかなりする。伝統的な悟りにいたる過程とも科学精神の発露とも読めます。真理フェチという点では根っこは同じなんでしょう。

*1:井上円了選集』第三巻(1987年10月26日発行)収録。

*2:http://d.hatena.ne.jp/nomurahideto/20070319/p1