Under the hazymoon

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『大学章句』をゼロ年代から読む?

 第二次惑星開発委員会*1があんまりおもしろくて、とうとう雑誌も買ってしまったのですが*2、共生の問題の最前線の一つはここだよなあと思いつつ、そこで議論されているポスト・セカイ系のゼロ年代の方法って、『大学』の八条目にその淵源があるなあと古典研究者はつい思ってしまったり。
 

 ようはデータベース消費はプレ近代に普通にあったよ(そのこと自体は稲葉振一郎さんも指摘済*3)的思考なんですが。もちろんこれは多分に思考の順序が逆で、「ゼロ年代論」に刺激を受けて、僕が古典を再解釈しちゃってるわけで、これを歴史的に書こうとするとマンガは鳥獣戯画から的あまり楽しくない議論になりそう、特に経学絡みだと道学者先生になっちゃいそう、なので、気をつけなくてはなりません。
 とはいえ、『大学章句』をゼロ年代に引きつけて読むことは十分に可能だし、やってみてもいいんじゃないかと思います。そういう風に読み直せることに古典の価値があるわけで。読み直せないならそれは歴史資料以上の意義はない。それに、経学的発想は、過去に引きつけること自体に真価はなく、その過去が捏造された理想の過去、つまり理想とすべき未来のシュミレーションであることが大事なので、本当は最初から「昔はよかった」的繰り言なんかじゃないので、こうした再解釈はまさに王道の経学なのだと思います。妄想成分多めですが。
 と思って、というわけではないんですが、実際に、授業で試みたりして、失敗したりしています。授業の際にはあまりゼロ年代の問題とか意識してなかったのと、そこまで踏み込むと肝心の古典を紹介する時間がないのと、まあいろいろ。もう少し時間をかけて丁寧に議論しないと一部の人にしか伝わらないので、もう少し懲りずにやってみます。
 そうそう、古典中国学から見ると、セカイ系の祖先もあって、それは間違いなく荘子だよなと思います。引きこもりで、非モテ妄想全開だもんね。そんな荘子がいちばん好きな僕って。。。でも中国では、六朝の玄学あたりではうまいこと使い分けて政治のツールにしちゃったあたり、相当したたかです。
 
追記(6/13):こうした試みは、教養主義の復権というよりも、教養主義の復権に抗する手段として企図された方がよかろうと思います。

*1:http://www.geocities.jp/wakusei2nd/

*2:http://wakusei2ndplanets.web.fc2.com/ や、http://www.geocities.jp/wakusei2nd/p3.html

*3:[asin:4757101805:detail]