nomurahideto's blog

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ゲートボールに負けた

 早めに職場についたので、白山神社の裏に公園があったっけ、と少し走圏してみようと思ったら、公園全面がゲートボールの場となっていて断念しました。うーむ、ここは朝は使えんのか。
 

閑話休題。前にも悩んでいた、腰に意識をおいて足に力が入るってどういうこと?*1って問題ですが、実はここ最近も足か腰かで悩んでいました。というのも、腰に意念がおかれると足に力が入ってしまう、というのは、やっぱり創られた「自然」だよなと思うわけです。第一、静坐をしてても丹田は発達させることはできますから*2丹田の発達によって足が強くなるというのは、実際は高い相関性がないんじゃないかと疑っている次第です。そこを敢えて、意念によって接続しているのだ、というのも一つの解としてアリですが、他の考え方はないものでしょうか。
 僕自身は気がどうこうとかはあんまり考えていなくって、単純に、ある部位が発達する=筋(深層筋でもいいですが)に力による負荷がかかって鍛えられたため、ぐらいのことじゃないのかなと考えています。つまりクオリアとしての気にとどまると。
 だとすると、意念が丹田におかれると、力が足におかれる、と教えていることに、何ら生理的メカニズムはないのかと自問自答してみたくなるわけです。こういう考え方はどうでしょうか。丹田に意念をおくというのは丹田発達のためでなく、足を動かす際にそのつけ根を意識して動かすことでより負荷をかけているのではないかなと。これは腕の場合、明晰に実感できます。コップを持ち上げようとするときに、意識をコップを持つ手におかず、肩において、肩から持ち上げようとすると普通に持ち上げるよりもと腕全体に負荷がかかるのではないでしょうか。走圏の足の運びはこれと同じ原理なのではないかと思います。つまり、養生としての丹田がどうこうではなく、たんに足のつけ根の部位としての丹田から足先までを、腕立て伏せなどで腕を鍛えるがごとく、鍛えているに過ぎないのだと*3丹田への気の集中とか実感できてない現在の段階では、こういう理解の方が個人的には納得できます。まあ練功が進展していけばまた考え方も変わることでしょう。変わる前にこうして(._.) φ メモメモと。
 まとめると、内丹系の修行のように丹田を中心とするものと重なるように、別のレイヤーとして武術系の練功とがあって、その場合はメカニズムとしては足が主で丹田は従なのではないかということです。二系統の修行を同時に行っているのが走圏であり*4、だからなおのこと難しいのかも。

*1:http://d.hatena.ne.jp/nomurahideto/20070226/p1

*2:http://d.hatena.ne.jp/nomurahideto/20070521/p1

*3:この話をしたところ、アイソメトリックスだよね、というご指摘がありました。確かにそうだと思います。できる限り気に頼らない解釈を試みるのが僕の個人的な課題です。

*4:站樁もそうでしょう。