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呉図南『国術概論』中の馬貴

 というわけで*1、早稲田の図書館に行ってきて呉図南『国術概論』を見てきました。
 廬景貴『曹氏八卦掌譜』も単行本があったので、伝記部分が収録されてるかなーと期待してチェックしたら、ありませんでした。
 しかしなんで、早稲田大学にこんなに中国武術の書籍があるんだろう、気になるものがまだまだあるしまた来なくちゃ、でも研究してた人いたっけなーと思ったら、何とほとんど笠尾恭二氏の寄贈図書でした。ありがたや。感謝、感謝。
  

 さて、『国術概論』ですが、二版所蔵されていて、1971年に台北の華聯出版社で出版されたものと、1984年に北京の北京市中国書店で出版されたものがありました。どちらも1937年の序文がついた影印でした。1984年版は、1933年に書かれた『太極操講義』が付録でついてました。1971年版は題辞と著者近影付ですが、お得なのは1984年版でしょうね。
 で、肝心の馬貴の伝記ですが、第四章国術史略の第三節八卦拳史略に記載がありました。同節は、(1)董海川伝、(2)八卦名家略伝、(3)八卦拳世系表からなり、(2)の末尾には八卦掌の技目録が付されています。名家略伝中、名前が挙げられている以外に略伝があるのは馬貴と呉峻山の二人だけでした。なぜこの二人だけか、というのもまず問題なのですが、ひとまず馬貴に関してはというと、尹福が馬貴に伝えたという記述の後に、

 馬貴除師承外、兼得海川指示。故於八卦拳術、頗多獨特之妙。惜乎以技自秘、不肯授人。……
(馬貴は尹福からの伝授以外に、董海川からも指導を受けていた。だから八卦の技に関して、たいへん独特の域にあった。惜しむらくはその技を秘密にして、人に教えようとしなかった。)

とあって、以下、国術を提唱しているこの時期に、伝統にこだわって秘密を守ったりするなんてとんでもない、

雖年近八旬、而更絶憐其技。故其困守平市、不亦宜乎?
(80歳近くになったのに、いっそう自分の技を溺愛している。だからそうして北京に閉じこもっているのも、いかがなものだろうか。)

国家国民を強くするためには広く世に広げるべきだ、と四行ある伝記の七割方は馬貴への批判になっていました。
 呉図南は同書の序文を南京で書いています。つまり国民政府に身を置いて、国術というかたちで伝統武術の復権を図っていたわけですね。実際同書の後半には、第五章国術行政、第六章国術設備、第七章国術教学と、武術を教えるための行政府の組織構成、学校などの教育環境、教学理論が議論されています。そういう状況下で、伝統的な立場を遠く離れた北京で墨守している馬貴は批判の対象だったのでしょう。現代に生きる僕からすると、心情的には馬貴に肩入れしたくなります。政治なぞしるか、俺は好きなことをやるんだ、みたいな職人的潔さがぐっとくるわけで。
 ちなみに、もう一人の呉峻山については、四十年あまり研鑽した八卦掌を各地で教えて名を馳せ、また最近になって「新劈刺術」を創造して、国術の軍事化に裨益するところが多く、八卦門の中で傑出した存在である、と褒めています。でも記述は馬貴の半分の二行まで。
 伝記的事項として注目されるのは、呉図南がこの書を書いた当時、馬貴は董海川から直接教えを受けた名人であることが知られていて、80歳近い年齢で存命であったということにつきるでしょうか。

*1:http://d.hatena.ne.jp/nomurahideto/20070720/p1