Under the hazymoon

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スピ成分なし

 李先生の説かれる体系が、その深奥まではもちろんたどりつけてないものの、目下のところ理解できる範囲では、まったくスピリチュアルな成分がないところが非常におもしろいのです。
 

 つまり、精神を鍛えるとか気を体内にめぐらすとか、よく考えると行為としてまるで具体性のないような要求もなければ、そうした語り口もないんですね。これまでの3回でも、具体的な身体の動かし方の要求がすべてで、身体が正しく動く=気が丹田に集まる、身体が正しく動くように心がける=精神が鍛えられる、と単純明快そのもの。これを、マルクス主義以降のプラグマティズム的解釈、とみなすのは、僕は間違いだと思います。中国の伝統的な思考は、常に実体的な現象を想定しつつ語られてきました。形而上学的なものですら、気という実体をもって、現前している世界、それが中国の哲学の根本にあって、一見スピリチュアルな語りがあっても、根底はそこからの濃淡になるんですね。李先生の語りは、してみるとかなり正統的なもの、ということになります。そうした基礎の上で、実際に教える際には老荘的ゆらぎを見せている、これもまたきわめて伝統中国的なのではないか、と思うのです。