Under the hazymoon

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無為自然の身法

ブートキャンプ7日目は1年以上学習者向けの八卦掌講習会でした。もう気がつけば今日を除いてあと3日しか講習会はありません。あっという間に時間が過ぎていくように感じるのは、毎回充実した練習ができているからでしょうか。
今日は雪が降っていました。李先生は雪が降っているときは外で練習しないけど、積もってる上はバランスがとりにくいからいい練習になるとか。それはともかく、こういう天気の日は身体の中も濁気でいっぱいなので、まずそれを取り去ってから、走圏をするとよい。そのためのいちばんよい練習方法は、対練、なのだそうです。そお、今日は一年ぶりの対練の日*1だったのでした。
 

戦いとは何か?

李先生は武術や戦いにおける要点として次の三つをあげられました。

  1. 最高の境地:知己知彼(己を知り、彼を知る。)
  2. 制:道貴制人而不貴制于人(道貴ければ人を制し、貴からざれば人に制さる。)
  3. 変:円と圏

己を知るというのが養生にかかる、とすれば彼を知るというのが武術になるわけで、内外合一、外で内を練り、内で外を練って、両者は相補的な関係にあるのだそうです。今回2回あった1年以上講習会はまさに内=易筋経、外=対練という構成になっていました。で、現実的な技術というか思想は二つの文字で表すことができるとして、李先生は「制」「変」をあげられました。「制」とは空間の支配、ということになるでしょうか。自分がもっとも心地よい自然な位置を確保することができれば、さまざまな攻撃の「変」化を容易になすことができるというわけです。そして自然な位置とは、自分が中正を保てている、ということに他なりません。そして、すでに繰り返し李先生が言われているように、中正であってこそ変化が生まれるわけです。つまり中正を保ちつついかに移動するか、ということにつきるわけで、それってようするに走圏そのものなんですね。走圏とその変化の単換掌、それが八卦掌の最高の技術であるという所以を対練によってはっきりと示していただいた、そう僕は受け止めました。

カリキュラム

  1. 対練
    1. 穿掌
    2. 転換掌(見取り稽古)
    3. 迎面吸化掌
    4. 圧掌
    5. 帯手
  2. 走圏
    1. 龍形
    2. 熊形
  3. 双換掌
    1. 三角歩
    2. 双撞掌
    3. 撞掌

対練をだいたい1時間以上やって、残りの時間の半分以上で走圏を、その残りで掌法と単操を、といった具合でした。
内容は単換掌がないだけで後は前回と同じです。ただ前の記事では圧掌を順勢掌と書いてますし、あと帯手の対練に関しては講習会後の懇親会が終わってから公園でその場にいた人間でわいわいひいひいやりました。そこから見ると、うーん、ほーんのすこーしだけ成長したかな、つーぐらいですかね。足腰に前より力が入ったような気がしたし、実際に、次の日腕の筋肉痛が減って(でもまだある)、脇から肩甲骨のあたりまでとか足腰とかにきてるんで、そう思えたぐらいです。
穿掌は最初Iさんとやって、次にざしきぼっこさん*2と。引き続き、迎面吸化掌もいっしょに。圧掌と帯手はSさんとやりました。Iさんは女性なんですが、僕よりも数段上の経験者で、初手から迫力負け。ざしきぼっこさんとはやってるうちに、肩も胸も双方ともに上がってきちゃってそろって李先生に注意されました。Sさんは僕より力があるんですが、動作間違ってるし縮こまってくしで、やりづらかったです。動作が縮こまっちゃうのはこっちもそうなんでえらそうなことは言えないんですが、練習のポイント間違えてるんじゃないかと心配です。相手に合わせようという気がないのか、李先生の動作をきちんと見て取れてないのか、そのどっちかだと思うんですが。通訳もしてる以上、理解が届いてないとすれば僕の問題でもありますので。
対練は試合じゃないので、一人で行うときと全く同じように行わないと練習にならない、と李先生は言われるのですが、やはりどこかで相手に打ち克とうとしてしまうんですね。それでも自分では走圏走圏と思っているんですが、相手のその気に反応しちゃうんですね。で、反応すると向こうもさらに反応して、と。うーむ、進歩しとらん。非常に反省しとります。
しかしおもしろかったのは、対練そのものよりも、その後の走圏で、すごく丹田のところに充実感がありました。龍形もけっこうよくできたような。対練で無駄な力が抜けたってことかしらん。また李先生からは熊形について、熊形走圏がなぜ気血を養うかたちかといえば、それは易筋経の動作と比較すれば分かるはずですとの由。
李先生からは、上はだいぶよくなったけど、下はまだ力が十分でないね。でもそれは君は武術の基礎ができてないから仕方ない。後できちんと教えるから今はあせらずしっかり基礎の練功をするといい。対練は次の夏の講習会のときまでやらなくてもいいぐらいだ。そのときまで練功を続けていれば、また対練をしたとき自分の進歩が実感できるから、とはげましていただきました。ありがたし。

極意は無為自然にあり?

対練のうち転換掌については、より上級向けなので李先生は見せるだけにとどめたんですが*3、その際に李先生が言われていたことが非常に印象に残りました。曰く、頭で考えて変化するのではない、手が触れてそこから自然と変化していくんだ、と。それが「塔手腕中求」*4ということなのだそうです。つまり、相手の体格や技術、また距離や角度など位置関係によって、一定の状況など想定はできません。だから手が合わさった瞬間にその状況を手で感じ取って、その場その場の自然な流れに合わせて変化していくと、そしてその際に中正がきちんとできていれば変化した身体自体がそのまま相手への攻撃になるわけです。転換掌はそれを探る練習なのだとか。
また懇親会で、龍形の腕のやり方について、太極拳の「棚勁」のような要領というのはありますか?という質問がありました。李先生の答えは、「棚勁」はたんなる名前に過ぎない、身法ができていれば自然と正しい形になるし力も出るというものでした。まあそういう答えだろうなと思いつつ僕も通訳してたんですが、はっと気づいたのが、ようすれば、力を出そうとするのが間違いであるのはもちろん、出すまいとするのも間違いではないか、ということです。出ちゃうもんは仕方ない、そういう考えでいいのかなと。これ、呼吸法についても同じですね。声を出すのは間違いだが、自然と漏れるのは正しいと。
プラスでもマイナスでもない、ニュートラルな状態。つまりは、意識の中正、無為自然の原理で一貫しているわけです。これが理解を変えなくてはいけない、と李先生が言われていることじゃないのかなと思います。動作は普通にするのと同じ。力も普通に出ている。でも意識のベクトルは逆になっていて、それってよく言われる無意識故の速さとか力とかに通じていくんじゃないかと。。。うーん、まだオカルトっぽいな。もう少し理解が深まった頃に改めて考えてみたい問題です。

おまけ

やはり懇親会の席上で、こないだの講習会で技を試し掛けしてもらいたいとかいう人が来ていて、そういうとこじゃないからとお断りしたんですが、実際のところ先生はどうされますか?と尋ねたところ、中国でもそういう人がたまに来るそうで、李先生の答えは、教えない、で終了でした。そりゃそうだ。僕たちで講習会のおさらい会やるにしても、そういう困った人はそういうのが好きな人たちが集まっている会に行ってもらうのがいいですかねえ。殴り合いたいならいくらでも他に習えるところあるんだし。

追記(02/05):対練に望む態度

夏目さんが対練について非常にポイントをついた話をされています*5。ただ僕はまだ空間取り以前に走圏が不安定なのでそもそもの前提が弱すぎることになります。空間以前に姿勢の維持で手一杯だったので。しかし相手の速さに関係なく自分の都合でゆっくり動くようにするのがよいのかもしれません。原理上は歩圏以上の速度で動くことはできないわけですから、やっぱり僕自身が気がはやりすぎなんだと思います。そうそうそれで思い出したのが、下盤が弱いことと関連してますが、相手と間合いをつめるときに歩幅が広くなっちゃうんですよね。足の平衡が取れてないわけで、これもまた走圏の課題でありますなあ。
ちなみに、李先生によれば対練には三つのやり方があって、一つは同じレベル同士で行うものでこれが標準的なもの、一つは自分より高いレベルの相手とやるものでそのために一所懸命工夫するというもの、一つは自分より低いレベルの相手とやるものでそのためにいろいろと試せるというもの、だそうです。それぞれ意識を変えて行うということでしょうか。

*1:http://d.hatena.ne.jp/nomurahideto/20070218/p1

*2:ブログで詳しく報告されています。
http://baguataiji.blog47.fc2.com/blog-entry-437.html

*3:岩戸さんや夏目さん、上野さんぐらいだと練習してよい、てことでした。

*4:http://d.hatena.ne.jp/nomurahideto/20080124/p1

*5:http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2008/02/post-b247.html