nomurahideto's blog

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蛇の単換、龍の双換

ブートキャンプ最後の10日目は初心者向け講習会パート5でした。これで冬の東京講習会はおしまいです。最後だからちょっときつくやっちゃうよ、とのことで、前半は走圏に発力、後半は双換掌とその単操とハードでした。具体的なメニューは以下の通りです。
 

カリキュラム

  1. 走圏
    1. 龍形
  2. 単換掌
  3. 発力
    1. 双撞掌
    2. 正面に片手
    3. 片手で前後
    4. 挑撞掌
  4. 双換掌
    1. 三角歩
    2. 三角歩から撞掌
    3. 龍の爪でばーん
    4. 龍形探掌

八卦掌の基本体系

まず八卦掌の基本には走圏八法があります。それがこれ。
龍形・熊形・獅形・鷹勢・単勾式・陰陽魚図・蟹形・指挿式
このうちもっとも重要なのが龍形走圏で、そこから変化した掌法が龍形八大母掌です。

  1. 単換掌
  2. 双換掌
  3. 順勢掌
  4. 三穿掌
  5. 揺身掌
  6. 磨身掌
  7. 回身掌
  8. 転身掌

この八掌のうち、前四掌が主に歩法を練習し、後四掌が主に身法を練習するものだそうです。で、八卦掌歩法の基本は大きくは三種類しかなく、それが前四掌に対応しています。

  1. 扣擺歩--単換掌
  2. 大扣擺歩--双換掌
  3. 小扣擺歩--三穿掌

ここから分かるように歩法のいちばんの基本は単換掌で学ぶことになります。なので、もし李先生が1年間毎週教えるような機会があったとしたら、走圏と単換掌だけをやらせます、との由。残念なことに日本に住んでいる僕らにはその機会がないですから、とりあえず先のことまで教えてそのぶん各自がんばってこれら基本をしっかりやるようにとのことでした。
ちなみに後四掌までをきちんと学ぶと動きが劇的に変わるそうです。なので、武器を教えたりするよりも先に龍形八大母掌を教えたいと李先生は言われてました。僕も次の夏の講習会では武器よりもそっちを習いたいです。武器は対応する掌法ができないとだめな以上、そしてその掌法の基本が何か考えてみれば、優先順位は明らかですもんね。

発力の力はどこから来るの?

練習した四つの型に、武術における発力の基本がすべて入ってるのだそうです。というのも、これらで前後左右上下に打てるようになるためだから、後はその変化に過ぎないとの由。
発力の力は、手や腰で打つものではなく、全身の力で打つものであって、そしてその全身の力というのは、やっぱり走圏で培われた力だったりします。まず走圏の要求で体を一つにまとめ、ついでそれを開ききって力を発出すると。開ききってといっても要求は守られたままという一種矛盾する状況だったりするわけですが、李先生は確かにそのようになされているんですよね。こっちはそのへんぜんぜんできないわけですが、これは結局動作が下手なのではなく、走圏力が足りないわけですね。もっとがんばりましょう、といういつもの結論に落ち着くわけです。

気は実在する、と言うときの文脈

今回、李先生はかなり口をすっぱくして「気は本当にあるんだ」と言われてました。確かに運動を司っているのは筋骨なので、強い筋骨こそが強い運動の直接の根拠となるわけです。しかし筋骨を強くするのに直接筋骨を鍛えても効果はない、と李先生は言われます。たとえば筋トレやストレッチみたいなことはしない方がよい、すればかえって筋骨を痛めると。どうしてかといえば、そもそも筋骨を強くするには栄養を与え傷つかないように守り育てないといけない、だから僕たちの練習では筋骨ではなく気血を練ることに要点をおいて、気血を充実させて筋骨に注ぎ込み、膜で気血ごと筋骨を覆って強くしていくのだそうです。ここだけ聞いていると、個人的にはやはり微妙な語りであるなと思わざるをえず、通訳するのもいささかつらいところがあります。
ただおもしろいのは、ではそれをどう実感させるか、というところにあって、別段を手をかざして気を感じ取らせたりはしないんですね、李先生は。まさに錬磨と呼べるくらいしんどい練習を課してひいこら練習してふはっと2時間経ったところで、今みなさんが感じているのが気が充実し筋が伸びているということなんですよ、と言われるんですね。身体内感として立ち現れてくるそれが気である、ということなんですね。つまり語りはほぼオカルト(といっても気の語りは中国思想全般に見受けられるので、所謂オカルトとはしづらいんだよなー)だけど、行為に不確定要素はないわけです。少なくとも練功の次元においては、ですが。武術という実効が目に見えてすぐ分かる実践であることがそのへんのバランスを保っているように思えます。気でガンが治るかどうかと気のせいでしかないですが、目の前に相手がいる状況で気で倒せるかどうかはもうはっきり結果出ますから。
とはいえ、「勢」といった概念もまた比喩の領域にはない実感をともなって現前するわけで、こういうのも気の実在と関わってくる語りでしょう。龍のように、虎のように、熊のように、と言うときあきらかに比喩を超えています。猿のように身を翻してと、言いながら動いた李先生の動作は本当に猿の特徴を捕らえてました。鳴き声まで。でもこれを比喩ではないからと本気で真似るのもまた間違いになるわけで、猿になったつもりから龍になったつもりに一瞬で変化したりとか、いやいやそういうことではないでしょう。

双換掌は縦の回転