Under the hazymoon

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空中浮揚したら練功完成

と書くと、思いっきりアレなんですが、そーゆー話ではありません。劉敬儒主編『八卦掌』(北京体育大学出版社、2007年)に収録されていた馬貴の逸話です。
 

馬貴は蟹の画を描くのが好きで、また普段から両手の平が前に向き両手の指は互いに向き合っている撞掌を最も好んで使っていた。この撞掌の練習には腰を捻って前に進んで行くので、蟹が横這いで進むのを彷彿とさせたため、「螃蟹掌」という名があり、このため馬貴も「螃蟹馬」と呼ばれていた。ある日のこと、馬貴は練功していて、回りに回っていると、突然両足が地面から離れているように感じた。とても喜んで、すぐさま董海川のところへ向かい、「董爺、私はついに軽功ができました!」と声高く叫んだ。董海川はいぶかしく思って、「おまえはどうして気功ができるのだ?」と即座に問いかけた。馬貴が経緯を話すと、董海川は「じゃあもう一度回ってみなさい。私が見ていよう。」と言った。そこで馬貴は董海川の目の前で回り始め、全身大汗をかくほど回ったのに、どうやっても浮くことができなかった。董海川は笑ってこう語った。「浮くことができないからと、残念がるんじゃない。そう感じたのはおまえの功夫が完成したということだ。喜ばなくてはならんのだぞ!」と。
(p.21)

董海川に年若い馬貴が直接習っていた雰囲気が分かるほほえましいエピソードですが、ここから察するに、やはり舞うかのごとくすいすいっと動くのは結果であって過程ではないわけですね。この時の馬貴もそう感じたのはまだ一瞬だったのではないかと思います。しかしこういう語りからすると八卦掌にいわゆる軽功ってのはなさそうですね。馬貴派にない、という李先生の話も、やはり失伝ではなく最初からなかったということでよさそうです。