Under the hazymoon

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頸伸ばしたら心も伸びた

今日は易筋経講習会の第2回でした。僕の不手際で、急遽会場を変更することになり、先生をはじめ参加者の皆さんにはご迷惑をおかけしました。ここにお詫びいたします<(_ _)>
さて、今回も動作自体は新しいものはありませんでしたが、後半88式のおさらいを行って、より要求が明確になってきました。

ここで習ったものをまた自分で繰り返し研究し、また講習会でより正しく磨き上げていくというのが李先生の狙いで、自分の探求の余地を残すため最初はざっくりと通しでやるということなんでしょう。単なる実戦のための型ではなく、同時に自身の身体を強化=易筋するための動作となっているので、頭で細かく覚えるのでなく、身体からその正しさが出てくるように、ということだと思います。走圏と掌法の関係に近い感じでしょうか。易筋の感覚が残っているうちに88式のような複雑な動作でもそれを維持できるようやってみると。

個人的に、多少進歩があったのかと思ったのは、筋で精神も変わるというのが少し感じ取れたことでしょうか。上盤の頸に注意して中正を意識して腕を動かすと、何か意識が広がったような気がしたんですね。気のせいっちゃあそうなんですが、身体内感の関係でそう感じるのはなくはないだろうと。これを気が身体の外まで吹き出して、とかオーラネタで考えたらあきまへんで〜。

今回おもしろかったのは、李先生が易筋の動作は気血でやるのだと範を示された際に、「ゆるむのでもなく、りきむのでもなく」と否定を重ねて語られたことでした。おお老荘(禅)じゃーん。いわとさんによるとわりあい伝統系の武術ではよくそうした語り口があるとのことで、やはり前に研究会で指摘されたように、このナラティブこそが中国武術/養生法に特異な点かもしれません。さらにおもしろいのは、しかし二重否定をかまして宙に浮かしただけで終わらず、「気血でやれ」と全肯定が出てくるところで、この身も蓋もなさが同居しているところが道教系の修養法の要点であろうかと。僕の研究している内丹の語りもまさにそうなんですね。