Under the hazymoon

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東アジア文化学会2日目:韓国の仙道も70年代からですって

個別発表で「『黄庭経』解釈の変遷−存思から内丹まで−」というタイムスパンのえらく長い報告をしてきました(^_^;)
予稿の紙数の関係で調べた資料をけっこう落としたので、論文化するときに入れ込んでいって少しは見通し立つようにしないといかんです。しかしようやく少しはまともに読んでるんですが『黄庭経』おもしろいなー。

中国でしかも歴史というアウェーのアウェー状態をKYでやっちまって少し反省し、次回は武術と近代オカルティズムネタで行こうと思います、と性懲りもなく決意表明したら、id:monodoiさんから「ということは、質問者があなたの解釈は間違っている。ついてはどちらが正しいか拳で決着を、となるわけですね」と仕込みを入れるようアドバイスを受けました。それなら司会者の人にハリセン持ってもらわないとオチがつかないですねとかお答えしました。伝説の発表になりますよ、という訳の分からないはげましありがとうございます(爆 
。。。というのが、案外シャレにならないところなのね、というのが宗教関係の学会のおもしろさ、なんでしょうか。
他の人の報告は、自分の専門ほっといて、スピネタを多く聞いてました。実践者と研究者の境界がゆらいでて、勉強になりました。中国学においては、単純に古典研究してるだけでも(それがよほど純文献学的なものでないかぎり)、「気」とか「陰陽」とか「道」とか「理」とか出てきちゃうんですから、現在のスピ動向と無関係ではいられない、と僕は思っています。だってそこに、西洋批判、科学批判が入ってくると、混ぜるな危険じゃないですかね。でも東洋系の研究者で大好物な人けっこう見かけますよね。でもそれって学術研究ということで免罪していいんですか、というのは僕の職場の年報にさりげなく書いたわけです。社会貢献できる人文学を目指すのであれば、注意すべき点です(逆に言えば、古典芸能と割り切れば問題は発生しない、ように見せれる)。
韓国で内丹が流行してるということ自体は日本語の論文もだいぶ前に読んだことがあって知ってはいました(そして詳細はすでに忘れています)が、今回はその最新動向を知ることができておもしろかったです。日本よりよっぽど公的な場に食い込んでるんですね。しかも流行のはじまりは70年代で、いったんは仙道は途絶えてたらしい。。。ということは、台湾から直接か、日本経由で、ということになりゃしませんか。少し興味出てきたなー。しかしハングルの壁が。もう少し時間が欲しいです。