Under the hazymoon

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気がつけば中盤ほぼ制覇?

今日は2009年冬の易筋経講習会第3回目でした。練習メニューはバッキーズの方をどうぞ
いくら原理をつかめばどんな動作も同じだとはいえ、その境地に至るまではやはり動作自体にいろいろ変化がある方が楽しいのも事実です。今日またさらに新しい動作を習って、まあきつかったけど、楽しかったです。牛の尾のバージョン違いを別のものと数えるのであれば8つすべて習ったことになりますね。できてないけど。

今回は残り15分になるまでずっと易筋だったので、終わった後のテンションもかなりアゲアゲでした。そんでごはんは2年越しの課題達成ということで、ホルモンまるみちへ。すいませんね、Cさん。肉食べたかったのよこっちは(^^ゞ
そのへんの経緯は夏目さんbonnou109さんのところでどうぞ。

さて、僕自身はあんまり踏み込んで武術をやったことはないし、フィールドワークの一環で人体実験だと思ってることもあって、馬貴派だけやっているんですが、その他にいろんなことをやっている人もいるわけです。そうした人の動作を見てると李先生が言ってることと違うことをやってたりする場合があったりします。何で言われたことをそのまましないでアレンジするのか僕には不思議だったのですが、李先生が他のものをやっていてついた癖を取るのが何より難しいと言われてましたので、そういうものかと思ってたのですね。
ところが、どうもたんに他のことをやっているかどうかが問題ではないらしい、というのが最近分かってきました。というのも、例えばbonnou109さんやBaguaさんを見てると、そのまま李先生の教えたことが動作に反映されてるんですね。まあ僕自身の経験が浅いので深いところまで気づいてないかもしれませんが。bonnnou109さんに聞いてみたら、自分の中でやってるものそれぞれをきちんと切り分けてやってるんだとか。その上で共通する基盤があるとすればそれは何かを考えているそうです。それは僕にはすごく納得のいく話でした。もっとも運動神経が鈍い僕なんかは他のをするとわけわかめになるだろうな、剣呑剣呑と思いますけども。
すると結局、李先生の言われていた性格(考え方や癖)の問題がやはり大きいのだなと得心がいった次第です。今このとき目の前にあるあるがままを素直に見るという単純な行為が、俗塵にまみれた僕たちにとっては、実はいちばん難しいのだという、このへんもまた老荘的な実践倫理の示す真理といえるのでしょう。