Under the hazymoon

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最初に究極から習う

今日は八卦掌体験教室。まったく初めての方も何か他にやってる方も来られてました。初めて習う方にとっては、教え方からして非常に伝統的な方法なので、とまどわれたかもしれません。
近代的なトレーニング方法と違って、できることを少しずつ積み重ねていくようなことはせず、一気に理想的な型の練習から始めて、できないことを何度も繰り返すようになっているからです。伝統芸能などの型稽古に近いのかもしれません。

もっともこうした「型」から学ぶということは、伝統的な身体感覚に根ざしたものです。「肩の力を抜いてリラックスする」とか、「腰を落ち着けてじっくりやる」とか、そういった身体の特定部位と精神状態の対応は日常言語の領域にもきちんと残されています。実は身近な考え方であり実践方法なんですね。それをきちんと意識的にトレーニングするわけです。

心を落ち着けなきゃいけないときに、落ち着け落ち着けと心で思ってもかえって焦ったりするものです。逆に身体からアプローチして、背筋をのばすことで、自然に心が落ち着くようにもっていくというわけです。
しかし、実はそのような姿勢をきちんと維持するのは難しいんですね。
僕もまだまだできてなくって苦労していますが、それでも最初の頃よりずいぶん身体が感覚的なレベルから変わってきました。会員制の教室でも、練習内容自体は今回の体験教室と全く同じなんですが、同じ動作なのに何度繰り返してもやっぱり難しいんです。李先生のお話では、自分のもっとも弱いところが自然と鍛えられるので(それで次の練習では相対的にもっと弱いところができるのでそこが鍛えられ、と永遠に続く)、常に難しく感じるんだそうです。

李先生が座っているときと同じ姿勢を維持して歩くことを示唆されてましたが、座禅などの瞑想法の姿勢と実は同じ、姿勢を正す訓練を基礎においていて、
姿勢が正しくなる→呼吸が深くなる&精神が安定する→姿勢がより正しくなる→……
という循環を通して、自分の心と体を整えるという少なくとも東洋では普遍的に見られる修養法です。もっとも、こうした身体観は洋の東西を問わず見出せると思います。東洋に固有の、ということはないでしょう。
走圏がよいのは、それに歩くという行為を組み合わせることで、足腰をより強く鍛えるというメリットがあるわけです。他の修養法では、足腰の鍛錬は別にプログラムを立てて、トータルで全身を鍛える場合が多いのですが、馬貴派はそれを走圏という一つの訓練ですませようという、なかなか欲張りな修養法ということになります。