Under the hazymoon

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発勁ロボの可能性

昨日教室のあとに、夏目さんご夫妻とかずきくんといっしょに中華を食べたのですが、その帰り道「僕は理系なので話に参加できませんでしたが」と卒業研究で馬貴派の筋の考え方にもとづいたロボットを作ってみたいとか、そういった話をちょこっとしました。おもしろそー!いいネタ持ってるじゃーん。無理して文系の話についてこなくていいから、懲りずにそっち方面で今度話してくれ〜。
伝統芸能を計測するという研究はすでにあって、CGで動かすとかそういうのはあるけど、ロボットみたいなブツを作るというのはとても楽しい試みです。目指せ特訓用ロボットの開発だー!CGじゃ組み手はできんもんね。名前はもちろん「少林鉄人拳」で決まり!

で、それで思ったのが「生身をモデルにしない」ということ。李先生をモデルにして熊のぬいぐるみかぶせたロボット作ってもいいけど(動作に反応するセンサーをつけて、練習をなまけると「走圏!」とか声が再生されるとか。これはこれで欲しいな)、実際の武術家の肉体や動作をモデルにするのではなく、製作上は、理想的な武術的身体をモデルにするとおもしろいのではないかしら。現前しないあり得べき達人を実体化させるわけですね。
その上で生身の達人の動きと比較してみると、武術で語られる理想についての言説のどこに現実との間での齟齬があるのか、僕たちが埋めるべき/埋められないギャップはどこにあるのか、とかそういったことが研究できるのではないか、漠然とそう思いました。テキストの検証をフィールドワークでするようなもんでしょうか。バーチャファイターなんかではラスボスは既存の達人のいいとこどりみたいな改造人間作ってたけど、そうしたアプローチは結局思想的な部分と切断されているため、人文学的にはおもしろくないわけです。

もう一つ思ったのが「自然は計測可能である」ということ。李先生は確かにすごく流れるように動かれるし、技を使われるときもすごく多彩な変化をされるのだけど、そこで先生がしばしば強調される「自然な動き」といったときの「自然」の意味とは、環境によって一意的に行動が決定される、と理解できるわけです。つまり敵の動きや相互の位置関係などによって、いろんな選択肢がある中から自然とある一つの選択が自動的に決定されるようにするのであって、自分の方にあらかじめ動作のパターンをセットしない、それが理想的な状態なのだとか。つまり、周囲の状況によって自分が動かされるとき、最短で相手にぶつかるように動けば、理想的な身体が実現されている場合にかぎり、それが正しい答えになる。そうなると動作そのものの解析は原理的に難しい(だってバリエーションがいっぱいあるし、事前にどう動くか決定していない)わけだけど、動くための情報はおそらく計測可能だと思うのね。
武術的にはチューリングテストに対応できる人工知能こそが理想で、自分で何か判断するような知は無用の知なんですね。