Under the hazymoon

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儒教的恋愛のすすめ?

現代日本社会に限ってのことになるけれど(これは近代民主主義社会全般まで広げることが可能だとは思うけど)、原理的な部分についていえばすでに儒教的な理想社会は達成されているし、その社会の一員として生まれついた僕たちは学んで至る的聖人の条件をみたしているのではないか、と設定した上で、すでにして達成された理想のほころびを繕うものとして古典を再読するという試みはどうでしょう。

そのように考えるとき、何も社会正義とかそんな高尚なことだけに儒教の理想を求める必要はなく、日々の生活のすべてにすでにして理想が織り込まれると読むことはできないでしょうか。
例えば大学の八条目の修養部分、「正心」「誠意」「致知」「格物」を彼女にプレゼントする場合のトラブル回避の指針として読み直してみたり。

彼女への適切なプレゼントを選択する(正心)には、愛情をかたちにしてこそ(誠意)であるけれど、独りよがりなプレゼントを選ぶのではなく、彼女が欲しいものを察知する(致知)ことが大切で、そのためには当人から直接聞くのでないかぎり彼女の言動に注意を払うしかない(格物)わけで、もしせっかくプレゼントを贈ったのにけんかになったりしたのなら、このプロセスのどこかで問題があったのだ、それを見極めて問題を解決することで聖人(理想的な恋人)に近づけるのであーる。

てな解説を授業でしました。
現代に生きる中国の古典って、とにかくなんでも政治や社会のことにならなきゃなんないのかね?というのが僕の素朴な疑問なのです。