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「本当の強さ」問題:型練習と姿勢

「本当の強さ」問題については、中国武術分野における近代以降の動向から調べていくつもりでいるが、最終的には現代にまでつなげていければと思っているので、現状の動向調査も少しずつ行わなくてはなりません。記述されたものをとなると、手っ取り早いのは某巨大掲示板とかSNSとかブログとかになるのですが、できれば印刷された出版物がいいわけです。雑誌のバックナンバーなどをそのうちまとめて調べる必要はもちろんあるのですが、その前に武術の解説本などの解説にそういった言説がまとめられている場合があるようです。

例えば東洋大の大学図書館にあった呉連枝『続呉氏開門八極拳』は最後の一章に日本側関係者の解説が充てられていました。なぜか続編しか図書館になかったので、そのうち正編も確認しなくては。ちょっとまだそっちの作業には時間がかけれないのがつらいところです。

続呉氏開門八極拳

続呉氏開門八極拳


この第4章「補足」の「B.伝統武術を現代に活かすには」の「(2)誤解」において、「型練習では闘いに絶対勝てない」(pp.305-306)という意見が実体験を元に解説されていました。特定の団体ないしグループを念頭においた批判なのかもしれませんが、ネットで見かける中国武術の「強さ」をめぐる言説で批判的に述べられる一般論として読み取ることができるように思われました。

なお一応馬貴派の考え方を補足しておくと、現状ではまさにその「型練習」しかしてないわけですけど、李先生もそれだけで実際に闘いで勝てるとは言われてないですね。勝敗を決する手先の変化は対練で学び取るものと言われています。やはり最初の基礎体力作りというか肉体改造を重視されているわけです。最近時折伺うのが、自分が最初についた先生は本当にすごい功夫の持ち主だった(指一本や片足や座った状態で人を吹っ飛ばす映像を見せて頂きました)が、鍛練の過程で身体を壊したのでばっさり棄てて、現在の馬貴派を一から学び直したという李先生自身の体験談です。
また上述の解説では、型練習で不足しているものとして姿勢を上げています。例えば、「伝統武術は立身中正、虚霊頂勁といって、スパーリングでは使えそうもない姿勢を要求する」として、スパーリングでは「顎を引き、上目使いで相手を見ないと」いけないし、「手は顔面を守るため上に上げる」ようにしないといけないとしています。でも馬貴派ではまさにその「立身中正」「虚霊頂勁」の姿勢の要求の中に後者の実戦で必要とされる要求が入っています。ということはやはり言葉は同じでも解釈が門派によって様々ということなのでしょうか。
このあたり民国初期からの変遷をおいかけてみたいところですが、難しいかな。姿勢は基礎練功、養生の問題にも関わるので、関連領域との比較で重要となる要素なのです。