Under the hazymoon

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宮崎駿と諸星大二郎

宮崎駿『出発点1979〜1996』*1より。備忘録として。
自然観と人間観は不可分であることを前提としての諸星評価がここにある。

(4)人民の描き方−諸星大二郎的な力量とものの見方がいる
愛する必要はない
そのやさしさも愚かさも
利己主義もけなげさも
そのわいざつさもひよわさも
すべて、人はそういうものだと肯定できる大きさがいる
大衆ベッ視や、不信は映画をこざかしくする
墨攻」メモ アニメーション映画として
酒見賢一著「墨攻」〔新潮社〕のテレビスペシャルアニメーション用企画書より 一九九一年
p.412

 −−腐海の描写なんですが、冒頭のユパがたどりついた村とか、かなり不吉なイメージなんですけど、エンディングのユパとアスベルが旅している腐海は、非常に明るいんですね。
 宮崎 人間に害するから害鳥で、人間に役に立つから益鳥というのも、おかしな話でね。風景ってのは、見る人間の感情によって印象が変わるんですよ。豊かな自然というのは、同時にすごく凶暴な自然であるはずです。だから、人は自然に対して謙虚にもなるし、豊かさについても十分知ると思うんですよ。「ダーククリスタル」を見てるとね、なんか、これで何千年も地上がダメになるなんて言ってるでしょ。それでラストでどうなるかというと、ゴルフ場みたいなのができた(笑)。あれだったら、元のジャングルのほうが、いろんな生き物がたくさんいて、よっぽど生き生きしていましたよ。それでいいんじゃないかと思う。だから、実に変な話だとぼくは思ってる(笑)。それにくらべて諸星大二郎さんは「失楽園」のラストを見ると、風景と人間のかかわりあいが、よくわかってる人だと思います。
「豊かな自然、同時に凶暴な自然なんです」
ロマンアルバム風の谷のナウシカ徳間書店 一九八四年五月一日発行
p.474

王蟲という言葉そのものは、王様の蟲というか「砂の惑星」のサンドワームとか、諸星大二郎の「オーム」という仏教の言葉だとか、その辺を混ぜ合わせて、「大きな虫だから、王蟲だ」とか「足がいっぱいあるから、虫が三つだ」とか、大体、出発点はそんなところです。
メタファーとしての地球環境
季刊「iichiko」№33・34 日本ベリエールアートセンター 一九九四年十月二十日、一九九五年一月二十日発行
p.544

なおググったところ、ユリイカの諸星大二郎特集*2竹熊健太郎さんがナウシカを諸星さんに書いて欲しかったと宮崎さんが語っていたことを言及されてるようなんですが、記憶に残ってない。。。発掘できてないので要確認。

*1:[asin:4198605416:detail]

*2:[asin:4791701909:detail]