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矛盾する表現は修行においてレトリックではない

中国哲学の古典にはしばしば相反する内容が並記されることがあります。矛盾する表現に出会ったとき、研究者も含めてたいていはこれをレトリックや、弁証法的な昇華として解釈します。しかし修行の実践においては、矛盾する要求はそこから別の何かを要求しなおすのではなく、端的にそのまま両方満たすべきものとして扱われます。実際、身体は矛盾する要求を同時に体現できてしまったりする訳です。
身体から実践的な修養のテキストを読むことの大きな意味がここにあります。これは道教や仏教の一般にイメージされるような修行論にとどまらず、朱子学陽明学といった儒教のテキストについても同様ではないかと考えてます。矛盾する表現に対して、難しく解釈しすぎたりせず、実際に身体を動かすことを想定して矛盾をそのまま扱うのがよいのではないかと。もっともその場合、身体で理解できる部分をどのように文章化するかという課題が大きくなります。しかしそこを離れてレトリックとして読み込んでいっては隘路に向かうしかないのではないかと思います。