Under the hazymoon

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修行法分析マトリックス

内丹説を論じるときに、その思想を解明するにせよ、儒仏からの影響を検証するにせよ、これまでの研究では実践と理論と表象とをきちんと腑分けせずに議論してきたように思われます。例えば仏教からの影響を問題にする場合も、具体的ないくつかのレイヤーに区分して、それぞれでの影響や意義を問題にしないと、包括的な議論は難しいのではないかと個人的には考えています。で、修行法を以下のようなマトリックスでレイヤー分けをして、内丹説を位置づけてはどうかと考えたりしています。

  外形(具象、可視) 内面(抽象、不可視)
実践 技術(cf.呼吸法の修行) 理論(cf.気の循環・変成)
神話 現象(cf.神仙的特徴の獲得) 表象(cf.身体神の体内巡行)
目的 効能(cf.不老長生の達成) 境地(cf.道と人の合一)

現実に信仰者が実践するという状況を念頭において文献を読む場合、「神話」や「外形」のレイヤーはけっこう大切だと思うのだけど、けっこう華麗にスルーする場合は多いのでは?
僕自身は「神話」のレイヤーから議論を進めてきたのだけど、こうした見取り図を示せてこなかったので、何をしてるんじゃこいつはと思われてるように思う。おもしろがってくれる人はいるんだけど。内丹法の外部との比較でこの問題が重要なんじゃ〜と叫ぶような論文を書かないといかんわけですね。あうう。
中国武術ネタでは「実践」のレイヤーを問題にしていくつもりで、「技術」が共有されるのに他のマトリックスがまるで異なるようなものを挙げていくことで修行における身体論への橋頭堡になるんではと妄想中です。