Under the hazymoon

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用法を特定しない単換掌練習の意味

単換掌について、夏の講習会では扣歩応用と擺歩応用で十以上の変化を習いました。もっとも、そうしたことを念頭において単換掌の練習することにどれだけ意味があるのかといえば、ちょっと微妙でしょう。例えば初学者が単換掌の練習でよく陥りがちな間違いに、最初の擺歩の横撞掌で相手を打とうとすることなどが挙げられます。もちろん名前がそうついているからそのように使うことはあるでしょう。ただ打とうとするあまり、身体手足がばらばらになりがちなようです。
そしてさらに、仮に全部が一致できるように動かせるとしても、なお打とうとして練習することにはまだ問題が残ります。例えば李先生は、その擺歩の動作を相手の攻撃を払うのにも使われ、これは技ではないのだ、と話されたことがありました。おそらく攻撃者と李先生の距離が半歩でも近ければ、そのままの動作で攻撃として機能したでしょう。ようするに、どう使うかは状況に依存するもので、そうした状況の変化に耐えうる確かな動作が行えるか(=工夫)を練習していると理解した方がよいのだろうと思います。
実際、単換掌が技ではなく工夫であるというのは、これまた初心者がおろそかにしがちな葉底蔵花の中にもっとも基本の攻撃技である穿掌の工夫が内蔵されているという解説(世が世ならこれは口伝なんでしょうかね)などからも伺えることでしょう。
もちろん、それではすぐに使えないじゃないかと言われれば、おそらくその通りで、速修性という点では明らかに個別の動作の意味を特定して練習した方が効果が高いでしょう。ただ、僕なんかは養生主体で、そもそも急いでいないので気になりませんし、自分に予想できない高いレベルのものを学ぶためには型練習はそもそも理解できない方がよいと思っています。