nomurahideto's blog

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内包された「辺境」としてのタオイズム

内田樹『日本辺境論』*1を読んで、最初に浮かんだ言葉は「上に政策あれば下に対策あり」でした。

はるか遠方に「世界の中心」を擬して、その辺境として自らを位置づけることによって、コスモロジカルな心理的安定をまずは確保し、その一方で、その劣位を逆手にとって、自己都合で好き勝手なことをやる。この面従腹背に辺境民のメンタリティの際立った特徴があるのではないか(p.67)

といった中心と周縁の対比はなるほどと納得しつつ、しかしそれが社会の中の士と民の間や、個人の中の公と私の間にも成立するのではないか、と思ったのでした。単に中心たらんとするだけでなく、常に辺境を用意していつでも撤退してみせ、そして辺境で安住しつつも、機会さえあれば堂々と中心に座ってみせる、というハイブリッドなところが中国の知的伝統として徹底されてきたのではないかと。それは端的には儒教と道教の抜き差しならない関係を典型として理解されるものではないでしょうか。
武術に引き寄せて言えば、中国武術はまさにそういう中心と辺境を陰陽の転換によってどちらも拾いどちらも捨てるやりかたで使い分けているように思います。

*1:[asin:4106103362:detail]