Under the hazymoon

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熊形は坐功に範を求む

含胸亀背や下端腰(提肛吸腎)などの姿勢の要求が椅子に腰掛けてくつろいでいるときの姿勢と同じであることを、李先生はよく話されます。ときには、実際に座った姿勢を維持したまま椅子を外してみせたりしてくださることも。
さて、それでは、手法と歩法についてはどうなのでしょうか。同じように椅子に座るということから考えることはできないものでしょうか。というのがこの試論です。
まず手法についてはどうでしょうか。手をどのようにおくのがいちばんくつろげるか、そう考えてみると、やはり手は太ももの外でも上でもなく、やや内にかかるぐらいにおいているのが落ち着くように思います。そのとき腕手の位置は下腹部のところでとどまり、腕は自然なカーブを描いているはずです。その位置関係を動かさないように立ち上がると、何と言うことでしょう(BGMは劇的ビフォーアフターで)、理想的な熊形の手形がそこに現れています。
次に歩法についてはどうでしょうか。平起平落、自然な動きでないように思う人もいるでしょう。普通人は歩くとき、踵を浮かせて足を上げ、つま先を上げて足を下ろすからです。しかしそこで椅子に座ってみてください。足の力を抜き、ふくらはぎやすねやひざ付近を使わず、太もものつけねだけで足を上げ下げしてみると、何と言うことでしょう(ry、足は自然と平起平落で動きます。つま先を動かすように上げ下げすると、足のあちこちに負荷もかかってしまうはずです。
つまり、熊形の手も足も坐功としてみたとき、実に自然な、おのずから然る、そのようにしかならない動作になっているということなんです。それを歩きながらにして再現する。意識的に自然を再演することで、後天的な人為による悪い習慣や癖を廃するような、身体の鍛え方が出来る、それが熊形の走圏というわけです。

追記(2/14):弓道では手の形について同じように教えるそうです。あながち間違っていないみたい(^^ゞ