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ソーシャルブレインズ、ミラーニューロン、モーションキャプチャ

といっても三題噺というわけではなく、藤井直敬『ソーシャルブレインズ入門――<社会脳>って何だろう (講談社現代新書)』*1を読んでいて、この3点に興味をもったということです。
まずミラーニューロンについて。僕自身、看取り稽古のような伝統的な学びのあり方や自分自身の学びの体験−やってみてできない動作であっても身体を鍛えて準備ができてくると見ただけでどう動けばよいか分かってきたりとか−と相性がいいので、おもしろいなあと思っていたのです。しかし、本書第2章ではけっこうミラーニューロンが危うい慨念であるとする批判が行われていて、納得できるものがありました。
そしてそれに関連して、「他者の運動の認知と、意図の理解という二つの機能を一つのシステムとして理解しようとする」(p.96)ことの困難を指摘されていますが、これがモーションキャプチャと関連しています。

「バイオロジカルモーションの認知」という、ヒトの間接に電球をつけて暗闇に立たせたとき、止まっているとその電球群の光はランダムに配置されたものにしか見えないのに、ヒトが動き出すと被験者がヒトの存在を理解できるのだとか。ここからミラーニューロンのような運動と意図がセットになったものがあるのでなく、しかも「他者もしくは生物を見つけられる感覚は、きわめて鋭敏で、機械で真似しようとしてもけっこう難しい」もので、実際、「よく、伝統芸能の保存の目的で、日本舞踊や能の名人の動きを記録して、それをロボットで再現させるデモを見ますが、あまりうまくいっているように思えません」という指摘がなされています。「たとえ表面上の動きを完璧に再現できたとしても、名人の動きの本質は計測機械とロボットの性能を超えた、もっと微細な領域にある」もので、「わたしたちが、それを特に訓練なしで違和感と感じ分けることができるのは面白い」し、そうした違和感は生活においてたいへん重要であるとしています(pp.97-98)。
もちろんこの指摘は、伝統的な学びを計測できないということではなく、何を計測すべきかをよく考えなくてはならないと受け止めるべきでしょう。そのためにはやはり伝統的な学び自体についてよく考える必要が出てくるわけで、そういう問いを要請せざるをえなくするという点で、モーションキャプチャによる計測は、むしろ失敗していること自体に学問的価値があるのかもしれません。

*1:[asin:4062880393:detail]