からだの文化―修行と身体像―2日目
昨日*1の、マンガ・仏教・中国武術引き続き、二日目の今日は、ピアノ・丹田呼吸・コンテンポラリーダンスとますますカオスに♪
大地さんの「日本近代のピアノ教育における身体イメージ」は19世紀に現実に存在したピアノの指強化器具や特訓的奏法についての報告でした。まさに昨日夏目さんが大リーグボール養成ギプスを紹介されてて、まさにどストライク。そしてエクササイズとして分割した指の均質的な訓練を行うことは、もろさんの指摘した測定される身体観と共通します。つまり近代的な身体像が修行の方法にフィードバックされている。しかもおもしろいことに、というか当たり前のことのはずなのにしばしば僕らは議論からカットしがちなことに、近代を東アジアに持ち込んできた西洋においても、やはり「近代的な身体」をめぐる葛藤があったというわけです。
そこでの体育と音楽が国民国家形成においてともに重要であったという、佐伯先生のご指摘は、まさに続く僕の報告につながるもので、体育によって広まっていった「近代的な身体」を前提とした「伝統的な修行」というものが、僕の報告「歩く丹田の系譜−身体イメージがつなげる哲学・信仰・養生・芸能−」なのでした。報告の詳細は別ブログにアップしてあります*2。
そしてトリのワークショップは、山田せつ子先生によるコンテンポラリーダンスで、これまた身体の使い方、考え方が他の報告や李先生のワークショップと響き合うものになっていてとてもおもしろかったです。
コンテンポラリーダンスの練習法法を伺ったのですが、自己陶酔になることなく、自分の身体が自然に要求する動きにしたがい、ときに1時間もかけて頭で思いつくようなことが絞りきられるところまでやったその先からがおもしろくなるというお話は、ほとんど禅の公案、悟りの境地に近いものがあると思いました。身体言語による公案、と言うは易しですが。おそらく頭の上に靴のっけたりしたのも、突き詰めた末の、心でない身体の声にしたがったのではと思うと、これまたおもしろい。
自分もいろいろ考えていたこと聞いてもらえたし、いっぱいいろんなこと教えてもらったし、いろんな分野で重層的に問題設定やテーマが響き合ってとても充実した二日間でした。スタッフの方々もとても優秀だったし(と書くとえらそうでよくないけど)、皆様に感謝です。
追記(7/20):夏目さんのブログでの2日目の報告です*3。
僕も最後夏目さんといっしょに八卦掌ダンス?やりましたですよ。思ってたよりも動けたと勝手に充実してたんですが、周りの人にはどう見えたのだろう。しかし八卦掌の動きを組み合わせて自由に動く。。。はっ、套路?
追記(7/21):もろさんのブログでも報告が*4。あいかわらずするどい。