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nomurahideto's blog

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陳攖寧「最上乗天仙修煉法」現代語訳

*『陳攖寧仙学精要』上、宗教文化出版社、2008年、156〜158頁

*11年前に自分で訳してた。。。 http://lingxue.g.hatena.ne.jp/nomurahideto/20060629/p1

 

最上乗天仙修煉法

 

陳攖寧

 

 この法は真心を主とし、真炁を用とし、三宝を基とする。外三宝(耳目口)は漏らさず、内三宝(精気神)は自然と合することで、天人(外内)が感応し、先天の一炁が自然と身中に採り入れられる。 自分の肉体のあらゆる物質は、すべて後天の陰濁に属し、凡人を超え聖人の領域に入ることはできない。ただ先天純陽の炁は、この上もなく霊妙で、杳冥として推し量れず、恍惚として形にできない。外からやって来るが、実は内によって宿るのだ。先天(元動力)は後天(物質)に頼らなければ、どうやって採り入れることができるだろうか。後天も先天を得なければ、変化を起こすことはない。これが無中に有を生じ、有の内に無が含まれるということだ。つまり無は有が宿すことによって形を成し、有は無に動かされて霊へと通ずる。 仙家の妙用は、先天の一炁を採取して金丹の母体とし、凡庸な肉体を変容させて聖なる身体とすることを重視しているが、道は自然に法ることを知らねばならない。無理な作為で事を成そうとするのではないのである。

 

第一歩
神は気を離れず、気は神を離れない。つまり呼吸によって神と気が互いを包み、中和して抱き合うのだ。運ばない、執着してはいけない。つまり意識は清虚なままに、寂然と照し続ける。

 

第二歩
神が坤宮を守れば、真炁は自然と動く。つまり火を水中に入れれば、水は自然と気化する。熱によって蒸気が上がり、めぐり続ける。それは恍恍惚惚として、何か形があるようだ。これが薬物が初めて生じた状態で、あわてて採取してはいけない。もしほんの少しでもそんな考えが生まれると、真炁は失われてしまう。

 

第三歩
神が乾宮を守れば、真炁は自然と集まる。最初に神を坤炉に凝らし、陰精を鍛錬すると、陽炁に変化して上昇する。次に神を乾鼎に凝らすと、陽炁は次第に蓄積されて、きらきらと輝き、上下がはっきり通じる。この時内の真炁が外と感応し、先天の一炁が虚無の中から自然とやって来る。存想することでではなく、作為に頼ったりしない。先天の炁がやって来た時は、泥丸は風を生み、丹田は火が燃え盛り、全身の穴という穴が一斉に開き、関節の力が抜けて、綿のように軟らかくなり、酔ったようにとろけてしまう。

 

第四歩
一つの神を二つの用に分けて働かせ、上は玄関を守り、下は牡府に投ずる。暗闇の中で、赤い光がきらめき、脳から下丹田へ降りていき、自分の体内の真炁が、すぐに引き寄せられ、波や潮のように打ち上げ、雲や霞のように湧き立ち、甘露や瓊漿が、腹中に滴ってくる。これが金液還丹なのである。身を磐石のように、心を氷壷のようにしてこそ、これを失わずにすむ。

 

第五歩
神が黄庭を守れば、仙胎は自然と結ばれる。朝から晩まで、行住坐臥において、その状態を維持する。十ヶ月で胎が満ち、玄珠が形を成し、三年で火が十分に入り、陰魄がすべて解消される。身体の外に身体が存在するようになり、姿を現すときは神が気によって具現化する。肉体の中に物質がなくなり、姿を隠すときは気が神のもとに収斂する。九年で修行が完成し、肉体も精神も霊妙になり、百千万劫経ようとも、道と一体化した身体はいつまでも存在し続ける。

 

 この本文は五百四十字に過ぎないが、全ての丹法を包括している。もちろん南派、北派、東派、西派、陳希夷派、張三豊派はどれもこの範囲を出るものではない。ただその他の下品、旁門小術、江湖の邪教等々になると、この法とは符合しない。 私が読んだところ先人の書いた丹経は、比喩が多用され、紙面が異名だらけで、読者の頭を悩ませるものだった。しかも論理がはっきりせず、構成が混乱していて、書いてある通りには実行できない。かつて『道蔵』五千四百八十巻に、道外の雑書・道書を数千巻、合計で約一万巻近く、ここに書いたような率直で的確、簡単で明白なものは見当たらなかった。この口訣は、かつて師より授かったが、紙に記したのは、今日が初めてである。我が同志は、前世の因縁により、これに出会えたのだから、よくよく軽視してはならない。いつまでも大切に保管し、決して妄りに他人に伝えてはいけない。


一九五五年乙未立秋日

陳攖寧、慈海医室にて胡海牙に書き与える。

 

(海牙按ずるに、誠に師の言われるように、これは修仙の全口訣であり、その中に東、西、南、北、三豊、希夷諸派の心法をすべて包括している。しかし誰でも書かれていることが分かるのではなく、東西諸派の真義に通暁した者なら、その奥にあるおのを窺い知ることができるだろう。恩師が私にこの一篇を伝えてもうすぐ半世紀になる。今初めて公開し、道を志す仲間に供することとする。)