Under the hazymoon

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落とすのではない、落ちるのだ。

 相変わらず肩に力が入っています。肩の力を抜いてリラックスというのは文字通りそうなのだ、と分かってからも、やはり実行は難しいのでした。含胸亀背を意識すると、肩まわりに力が入ってしまいますorz
 

 肩も胸も意識して落とすのではなく、自然と落ちるものなのだ、と仮構して実践しようとするのですが、難しい。でも練習しているうちに、できないことが分かるようになる。おそらく更に研鑽をつめば、できるようになるのでしょう。なまけものの僕がいつになればそこまでたどりつけるかは微妙ですが、しかし、ここで起きていることが一体何なのか、その定義は、実は達成できてなくても想像はつくし、おそらく外れてないでしょう。達成した人からは違うと言われるのでしょうけども。
 ようすれば、ここで起きていること、と更に、ここで起きていることを語るその語り口、というのは、きわめて老荘的なのだなあということなんですね。最初のうちは、動作の体系の構想が、そこで語られる自然というのものが、老荘的な発想だとまでしか思っていなかったのですが、最近は自身が少しは進歩したようで、練功のプロセスそれ自体も、実に老荘的だということにようやっと気がつきました。
 例えばこの場合、上半身の虚が、虚にできてないことを感じ得て、はじめて虚にできるように、ただし意識してではなく自然にというかたちでそうなるわけです。この、無が有るという認識を通じて、無も無い状態に至るというのは、まったくもって老荘的です。公案は体認されうるものなのだなあと感慨もひとしお。が、僕自身の悟りの道はまだ先なのでありました。でも、ここまででも論文は書けるでしょう。文献をどう集め、どう読むかが課題だけど。