Under the hazymoon

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蟹形の真実

馬貴派で行う八種類の走圏の型に青龍・朱雀・白虎・玄武の四神が隠されていた、というネタ話を少し前に書きました。そのオチは、色々考えたが蟹に神話的な意味なんてあったっけ?というものでした。
実はこれ、そのまんま李先生にも話しちゃったんですね。そしたら存外に受けがよかった(^_^;)
ところが、実はひとしきり笑われた後、李先生は急に真顔になって、「いや野村、蟹形にもあるんだよ」と言われたんです。何と僕はまったくの冗談のつもりだったんですが、意外なところに真実はあるもので、四神の割り振りも熊形を黄帝に配当するのも間違ってないし、残りの二つもまあまあの解釈なんだとか。
蟹については、道教系の神話ではそんなの聞かないし、西洋だって有名なところでもヘラクレスにつぶされて死んじゃったりとか、蟹形で何か強さにつながるような話を思いつかなかったので、結果としては、全体の整合性がとれないからネタ程度にしか考えてなかったのですが、事実は瓢箪から駒、実は大いに関係があったというわけなんです。正直、びっくりです。
そう思ってたのが顔に出たのか、李先生はいつもの得意そうな笑顔を浮かべて、「これは秘伝だから、ただ文献を読んだだけでは分からないだろう。しかし、ヒントはやろう。『荘子』をよく読みなさい。」と、その場では答えを教えてくれませんでした。
大切なことを教えてくれるとき、李先生はすぐに答えをくれません。これは自分でまず考えろということだなと合点して、さっそく調べてみることにしました。今では全文検索が容易ですから、『荘子』の蟹の用例を探すのは難しくありません。外篇秋水第十七に出てくるのはすぐ調べがつきました。しかし問題は、井戸の中の小さな蟹といった程度の意味で、井の中の蛙の寓話のむしろ小さい世界しか知らない方の比喩なんですね。これを武術的に読み替えるなんてことが果たしてあるもんでしょうか。どうもピントがずれてる気がしました。

そこで別のアプローチをすることにしました。といってもそんなに難しい方法ではありません。『荘子』以外の文献で蟹が出てきて、かつ内容的に『荘子』とも関連するようなものを探して、データベースで用例を一つ一つつぶしていくだけことです。時間はかかりますが。
そしたら、何と見つかったんですね。それも『山海經』です。巻十二海内北経には次のようにあります。

列姑射在海河洲中山名也。山有神人。河洲在海。河水所經者莊子所謂藐姑射之山也。
(列姑射とは海河の洲中にある山の名である。その山には神人がいる。河の洲といっても海にある。河水の通るところが、莊子がいう藐姑射の山である。)
姑射國在海中。屬列姑射西南山環之。大蟹在海中。蓋千里之蟹也。
(姑射の国は海上にあって、列姑射に属し、西南の山に取り囲まれている。大きな蟹が海中にいる。千里の大きさほどもある蟹だ。)

海の中の川ですから、おそらく海流のことでしょうか。海流に囲まれたところにその水源となる島があって、そこにある山の話、ということなるので三神山の神話と同型の話ということになります。天津を流れる川も海河と呼ばれますから、地域もおそらく同じ山東半島一帯のものだったのではないかと。
とまれ海の中に浮かんでいる山なので、何かが支えていると考えられ、それが千里ほどもある大きな蟹であるという話が生まれたのでしょう。動物が大地を支えているというモチーフは広くみられるものです。
それでその山には神人が住んでいるわけですが、その神人がどのような存在なのか、『荘子』内篇逍遥遊第一には次のように詳述しています。

藐姑射之山。有神人居焉。肌膚若冰雪。綽約若處子。不食五穀。吸風飲露。乘雲氣。御飛龍。而遊乎四海之外。其神凝。使物不疵癘而年穀熟。
(藐姑射の山には、神人が住んでいる。肌は雪のよう、処女のようなやわらかさ。五穀を食べず、風を吸い露を飲む。雲気に乗り、飛龍に牽かせ、四海の外にまで遊びにいく。精神を集中させれば、穀物が病気にならず実をつけさせることもできる。)

あるいは、最後の一句を養生的に読み替えれば、比喩的に「身体が病気にもならず、生命力が開花する。」ことを言ったのだとしてもよいかもしれません。
馬貴派的な養生の完成を表現するのに、李先生は時折『荘子』を使われますが、ここで言われている神人の姿はまさしく修行の完成に近いものでしょう。本当に雲に乗ることはもちろんできませんが、そのように重さなく動けるようになるのが理想であるのは馬貴の逸話にもある通りです。
つまり蟹形とは、ある程度修練を経て身体が出来上がった後に、それを守っていくための重要な型ということになるのではないかと思います。『荘子』そのものには理想の状態が描写されていても、そこにどう至るかは書いてありません。もちろん踵で息をするなど口訣もきちんと隠されてはいますが、その先のことはない。まさにその先が『山海經』の方に隠されていたわけです。
もちろん、古代の人がこれは秘伝だからと『荘子』と『山海經』に分けて後世に伝えたとか、そういう話ではありません。おそらく八卦掌が形成されていく過程で、誰かがこの二つの古典で共通して語られる神話に着目して、秘伝として再発見したのだと思います。
こんな秘伝をまた気楽にブログに書くなあと思われる方もいるかもしれません。しかしそもそも蟹形の走圏にたどり着くまでどれだけの修練が必要かを考えれば、これを知ったところでどうにもなるものでもありません。李先生もそのへんのことが分かっていらっしゃるので、そもそも蟹形を学ぶはるか手前で苦労している僕にこの話をしてくれたのだと思います。
そうそう、答え合わせとして、李先生にメールを送ったら返事をいただきました。
「李先生は藐姑射の山に住まわれてますか?」
「まだ海を渡っているところだよ。」
間違ってなかったようです。その後何度かメールをやりとりしたところ、「藐姑射」という言葉自体が一種の口訣になっているそうで、『山海經』の該当部分も拳譜として読み解くことができるのだそうです。ま、さすがにこれは後になってこじつけたものだろうけど、と断りはありました(^_^;)
拳譜の方は蟹形のものなので僕にはまだ早いとのことでしたが、「藐姑射」の口訣については今のレベルでもできる、というか実は教えてるから、といくつか教えていただきました。けっこう目からウロコの内容です。ただこれはさすがに書けないなあと思ったので自主規制します。しかし古典研究やってて武術の役に立つということもあるもんですね*1

*1:専門的な話のため、内容が十分に理解出来なかった方には、夏目さんのブログの僕のコメントを読めばよく事情が分かると思います。よくよくご参考ください。http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2010/01/post-cb2f.html。