儒教研究が前提とすべきいくつかのこと
中国哲学分野の場合、儒教研究にまま見受けられる傾向に、文献の外の世界を想定することなく論を立てる悪い癖があります。もっとも経学と文献学の方法論が混淆した中国古典学の徒には抜きがたくある習いですので、儒教研究に限らないわけですが、儒教研究にその病がとりわけ重いのは間違いないところでしょう。
僕自身古典も思想も好きなのですが、自分が好きなものに他を圧するほどの価値がある、と周りを見渡すことなく言い切ることはできません。もちろんパンのみに生きようとしなかったり、思想のために死に向かう人もいないではないわけですが、それは多くの人が支持する価値観ではないというのが端的な事実でしょう。
例えば前にも紹介しましたが、こんな検索結果があります。
喜多方 中江藤樹 | 995件 |
喜多方 太極拳 | 7,040件 |
喜多方 ラーメン | 894,000件 |
ようすれば、おおむね人は立派な言葉よりも自身の健康が大事だし、何よりも目の前のごはんが大切だ、ということです。理に人を殺させないためには、そういう当たり前のことを否定することなく思想を語っていくしかないと思います。
*1:2010.6.24現在の件数