Under the hazymoon

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守らば則ち余り有りて、攻むれば則ち足らず。

移動中は文庫や新書を読むことが多く、先日は復刊された二畳庵主人『漢文法基礎』*1を一気に読んだりしてたのですが、今日から何となく気分で浅野裕一訳の『孫子*2を読み始めました。竹簡本を定本にしてるのが特徴で、平易な訳とその経緯をまとめた解説もコンパクトでさくさく読めます。
李先生も時々『孫子』に言及されるので、武術のことも気にかけつつ読んでいます。そしたら第四章の形篇の冒頭ですが、なかなか興味深いものがありました。
通行本では「守るは則ち足らざればなり。攻むるは則ち余り有ればなり。」として、守るのは自軍が十分でないからで、攻めるのは余裕があるからだとして、攻撃することを強調しています。しかし竹簡本では逆になっているそうなんですね。つまり「守らば則ち余り有りて、攻むれば則ち足らず。」として、守ることで余力ができるのに対し、攻めれば不足が生じると、守ることを最重要視
している。
自軍は自分で操作できるから負けないようにすることは可能だが、敵軍を操作してこちらが勝てるように仕向けることはできない。だから相手が都合良く動くことを期待せずに、とにかくまず自分を守れというのがこの段の主張です。通行本の守りを消極的に評価する文章よりは、竹簡本の守りを肯定的に評価する文章の方が文脈に適っているという評価は正しいでしょう。
おもしろいと思ったのは、馬貴派で重視する中正はまさしくこの意に適うものであることです。常に自分が安心できる位置と姿勢を確保する。そこをないがしろにして攻撃に意識が傾いて中正を失うと変化できずに結局死んでしまうことになるし、むしろしっかり守ることが強い力を発することにつながると考えるわけですから。相手を崩す練習よりも自分が崩れない鍛錬を優先する。やはり理に適っているのだなと改めて納得しました。

*1:[asin:4062920182:detail]

*2:[asin:4061592831:detail]