Under the hazymoon

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共生と養生

この3月末には現在の仕事が職場ごとなくなり、高学歴ワーキングプアまっしぐらなのですが、それはともかくとして、この5年近くお世話になったおかげで、自分の研究自体も発展させることができました。感謝。で、昨年12月に総括シンポがあって、5年分の研究成果をまとめて報告しました。
 この職場に来る前から“中国哲学”に対してずーっともやもやしていたテーマを、以下の拙論においていくらかかたちにし、まとめるにあたって、鈴木大拙や岡田武彦を紹介しつつ議論しています。半ば業界告発めいたものなのですが、論証不十分、表現不安定で、イマイチ伝わらなかったのが修行不足であります。。。

当日話した内容を起こしたものは3月末発行の年報に出ますが、ほぼ同じ内容の手持ち原稿をここに掲載しておきます。

共生と養生

 人と人の共生について語られるとき、しばしばその具体的な問題の場として設定されるのが、高齢化社会、障害者福祉、ジェンダー、異文化コミュニケーションなどであろう。これらの課題を解決することでいわゆる「生活の質」(Quality of Life)を高めることが、共生社会の実現につながっていくという議論は散見される 。
 そこで「生活の質」の中心概念とされる「健康」に注目してみると、現代社会では「健康」や「癒し」をキーワードとして様々な伝統的な養生思想が現代的に語り直されていることに気づかされる。伝統的な養生法としては、インドに由来するヨガがもっとも流行しているが、太極拳といった中国武術や気功のような中国文化に由来するものもよく目にする。これらは一部の好事家のものにとどまらず、健康法として現代日本では一般化しているといえよう。
 これらの動向は、「サスティナビリティ」や「共生」といった自然との調和を謳うようなある種の思想性をともなうことが多く、注目に値する現象といえる。実際、伝統的な養生思想が注目されるのは、その健康観が現代において見直されているからである。WHO(世界保健機構)による「健康とは単に病気でない、虚弱でないというのみならず、身体的、精神的そして社会的に完全に良好な状態を指す」という健康の定義は、まさしく伝統的な養生思想が理想とする人間像と合致する。
 さて、儒教について、「己の幸福を求めるだけの態度ではなくて、家族や社会と共に生きようとする〈共生の幸福論〉」だと定義したのは、保守派論壇の論客としても知られる加地伸行氏であるが、氏によればそんな儒教の中核にあるのが「孝」の思想、祖先崇拝による信仰形態である。その共生の幸福論とは、親子関係を宗教的かつ道徳的な基軸とすることで、時に個人的な価値観と普遍的な価値観の間に連続性を認め、それによって社会全体の幸福を目指すものとされている。今なおしばしば参照される養生思想の古典である貝原益軒の『養生訓』は、まさしくその個人の健康を全うする基本に「孝」の思想をおいている。もちろん『養生訓』の中心的な記述は食事・睡眠・セックスといった日常生活の基本的な問題の解決を中医学の理論によりつつ具体的に紹介しているところにある。しかし『養生訓』の個々の具体的な実践は総論の冒頭に述べられる次のような世界観に支えられているのである。

資料1
人の身は父母を本とし、天地を初めとす。天地父母のめぐみを受けて生まれ、また養われたるわが身なれば、わが私のものにあらず。天地のみたまもの。父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし。是天地父母につかへ奉る考の本也。身を失ひては、仕ふべきやうなし。……人となりて此世に生きては、ひとへに父母天地に考をつくし、人倫の道を行ひ、義理にしたがひて、なるべき程は寿福はをうけ、久しく世にながらへて、喜び楽みをなさん事、誠に人の各願ふ処ならずや。 如此ならむ事をねがはば、先古の道をかうがえ、養生の術をまなんで、よくわが身をたもつべし。 是人生第一の大事なり。(貝原益軒『養生訓』総論上)

 長寿は儒教の聖典である五経の一つ『尚書』でも重視されているのだとして、個人的な幸福、健康の追求は儒教的価値観に合致することを強調している。実際、個人的な倫理から始めて段階的に世界のすべてにまで適用していくその思考は、いわゆる大学の八条目の後半部、「修身」「斉家」「治国」「平天下」として早くから定式化されていた。そしてその八条目の前半は「格物」「致知」「誠意」「正心」という自己修養の階梯となっている。つまり儒教においては、自己と他者の問題は個人と体制という現実の社会の制度の中で、具体的な関係性のもと考えられてきた。

資料2
大学八条目:格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下

 では、その個人を社会へつなげていく自己修養の具体的な階梯として進められる八条目の前半部分はどのような実践によって支えられていたのか。陽明学研究の碩学、岡田武彦氏は、やはりそれは静坐という瞑想法しかあるまいと論じている。

資料3
「東洋では体験、実践を重んじる。その体験や実践は単に身体的な動きだけを意味しない。心の動き−情念や欲念を含めたものが、体験実践なのである。そして、この体験実践なしには「格物致知」は不可能なのである。ただし私は、自分が物と一体となったときに真に格物致知が得られると考える。/いわば物我一体、理屈なしに、物我一体となったときこれが達成される。」「私はその境地に到達するために「静坐」を提倡している。「静坐」こそ、先にいった「物と一体になる」唯一の道だと私は思っている。」(岡田武彦「格物致知と儒教精神」(致知128、1987年、『現代の陽明学』、明徳出版社1992年所収))

「静坐とは、古人のいう「天地物を生ずるの心」を育てあげることである。」「静坐も常住坐臥これ静坐となればその究境に達する。静坐で必要なのは腰骨を立てて坐ること。身体を静にして心を自然に静まるのをまつ。心を静にしようとしてはならない。」(岡田武彦「静坐の意義」、『現代の陽明学』、明徳出版社1992年)

 こうした静坐を修養の基礎とする態度は、むしろ岡田氏の師であった九州帝大の教授楠本正継氏の祖父である幕末の儒者楠本端山の学風を受け継いだともいえる。

資料4
「端山は、静坐中に線香が燃えてその灰が香炉の中におちるのを見て、いつも一々胸中に感ずるところがあり、それによって天地万物と我とがもと一体であることを悟ったという。要するに、静坐によって、天地が物を生ずるの心を体認し、それにもとづいて学問し、詩文を作り、政治をした」

起床→静坐→経書誦読→朝食→経書沈読(涵泳黙思、義理通徹)→諸子静玩→昼食→散歩→静坐→詩詠ないし作文→聴講→史書から古今の沿革、治乱興亡の跡を学ぶ→夕食→講義or経書か諸子の読書→静坐(昼間の是非得失を黙省)→就寝
(岡田武彦『坐禅と静坐』、桜楓社、1970年)

 こうした朱子の説く「半日静坐、半日読書」の実践は、まさしく共生のルーツとされる大正年間に始められた椎尾弁匡の共生会運動に受け継がれている。共生会運動は、「心生き身生き事生き物も生き、人皆生くる共生きの里」という、これ自体が上述の健康の概念と同じ構造を持つ理念のもとに営まれた運動であったが、その具体的な活動はというと、まず「共生結衆」と呼ばれるいわば合宿であった。入会者は寺院などを道場として集まり、5 日間共に生活し、共に学ぶ。1928 年に書かれた『共生の基調』によると、1日の時間割は次のようであった。

資料5
朝五時――起 床  朝の行事(行事の中には掃除、体操、おつとめなどがあります。)
六 時――七時半  講 義
七時半――八時半  朝 食
八時半――十 時  講 義
(ここで十分ないし十五分間位休むこともあり、あるいは唱歌体操を入れてすぐ次の講義にうつることもある)
十時十五分――十二時  講 義
(途中一回体操・静坐等にて一寸休みを入れることもある)
一二時――一 時  昼 食
一 時――三時半  講 義
(ただし途中一回休みます。またその中の一時間を信仰座談、相互研究の時間にすることもあります)
三時半――四 時  美化作業(掃除)
四 時――五 時  入浴時間
五 時――六 時  夕食
六 時――六時半  唱歌遊戯
六時半――九 時  講 義
(あるいはその中の一時間程質疑座談、あるいは感話の時間にすることもあります)
九 時――九時半  おつとめ
十 時――就寝

 このうち「おつとめ」の中には「静慮(静坐のこと)」が含まれているため、端山同様に朝昼晩の静坐を欠かさず行っていたことになる。椎尾は、静坐を通じて肉体が健康になり、精神もまた健康になり、生きる力が満ちてことで、はじめて仏教の理想を実践できるとしていたのである。
 ちなみに同様に静坐の実践を推奨していたのが、鈴木大拙である。明治32(1899)年刊行の「静坐のすすめ」では、「近来に至りて吾が日本青年の品性著しく堕落」したことを嘆いた鈴木は、キリスト教の黙祷、宋儒の静坐、印度の瑜伽師の修行断食斎戒などは宗派に特化しすぎであるため、「各人の好みに任せ、バイブル中の金訓なり、『論語』の嘉言なり、又は功利教の信条なり、ストア学派の所説なり何なり」、品性の涵養に適したものを工夫した上での30分から1時間の静坐を勧めている。
 しかしこの静坐による修養は近代化の訪れとともに批判の対象ともなった。二十世紀の初めの中国では、梁啓超や胡適をはじめとした当時の知識人たちは清朝考証学の科学性を称揚し、宋明理学を非科学的な前近代の学知として退けた。現代にまでつながる近代学術としての「中国哲学」の発見である。宋明理学が非科学的とされたのは、そもそもこれらの学が静坐のごとき瞑想法を実践の基本においていたからであった。ただし身体的な実践そのものは、たんに排除されてしまってそれで終わりにはならなかった。というのも、近代国家成立の基本となる富国強兵を実現するには、文字通り欧米人に負けない頑強な肉体を持った国民が必要であったため、身体的な実践もまた無視できない近代化の課題であった。もとより、静坐は儒教的な文脈の外では養生法として実践されてきていた。そもそも仏教において瞑想法は病気治療の方法でもあったし、道教においては瞑想法に由来する内丹という気功的な修行法とそれを取り入れた武術の修行法がある。そして中国の近代社会においては気功と武術とが実質的に静坐の実践を継承したのである。社会において近代化のために体育が必要とされる中、気功や武術は時に科学と対立し、時に科学を標榜し、自らを再解釈していったが、それは伝統的な中国の学知が中国哲学として編成されなおしていくのと、表裏の関係にあった。つまり現代の中国哲学において失われた身体的な実践を結果的に引き継いだのが気功や太極拳などの健康法なのである。
 こうした思想史的な検討を踏まえてみれば、現在一見するとたんなる健康法にしか見えず、また実際に行っている人々もそのようにしか認識していないであろうもののうちに、人と人の共生を目指した中国哲学の実践性が隠されていることが明らかになるのである。現状においては、中国哲学は具体的な社会政策に反映されうる思想理論としての力を失っていることはまぎれもない事実である。しかしより広い視点から考え直していくことで、このように少なくとも個人として行える共生思想の実践について、その具体的な方策を示してくれるのではないだろうか。