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朱熹静坐集説注釈稿(2)

  1. 東洋大学所蔵円了文庫の静坐集説*1を底本とした。九州大学所蔵のもの*2と同じものと思われる。
  2. 訓読は底本に従いつつも適宜補った。
  3. 川幡太一氏の漢文訓読JavaScript*3により原文と訓読文を一括生成した。
  4. 佐藤直方全集や他の版本との対校は改めて。柏木恒彦氏のサイト「黙斎を語る」*4には朱子学の基本文献のデータが多数公開されており、佐藤直方全集収録の静坐集説のデータも公開されている。

静坐集説

朱子語類九十六

【現代語訳】
程伊川は人が静坐しているのを見て、何ともよく学んでいることだと感嘆して、これこそすべての要となるところなのだと言った。
【原文】
伊川見人靜坐。如何便歎其善學。曰這卻是一箇總要處。
【訓読】
伊川人靜坐するを見、如何ぞ便ち其の善學を歎す。曰く這卻て是れ一箇の總要の處と。

朱子語類十二

【現代語訳】
最近の人は根本から理解しようとしない。例えば「敬」についてただ口先だけで、実践しようとしなければ、根本が立たない。だからその他の細々とした努力のよりどころがなくなるのだ。程明道も李延平も人に静坐をさせた。見たかぎり必ず静坐をさせた。
【原文】
○今人皆不肯於根本上理會。如敬字只是將來說、更不做將去、根本不立。故其他零碎工夫無湊泊處。明道延平皆教人靜坐看來須是靜坐。
【訓読】
今人皆根本上に於て理會するを肯はず、敬の字の如き只是れ將來(ただ)說くばかり、更に做將去(なすべき)こととせざれば、根本立たず。故に其の他零碎の工夫湊泊の處無し。明道延平皆人をして靜坐せしむ看來に須く是れ靜坐すべし。

朱子語類百十九

【現代語訳】
問う、程伊川が人に靜坐をさせていたのはどうしてか。曰く、いろいろ考えすぎている人に、静坐によって心を収拾させただけなのだ。初学者などもそのようにすべきである。
【原文】
○問伊川嘗教人靜坐如何。曰亦是他見人要多思慮。且以此教人收拾此心耳。若初學者亦當如此。
【訓読】
問ふ伊川嘗て人をして靜坐せしむるは如何。曰く亦是れ他人多思慮を要するを、且に此を以て人をして此の心を收拾せしむるのみ。初學者の若き亦當に此の如くなるべし。

朱子語類百十五

【現代語訳】
問う、学び初めは精神が散漫になりやすいので、静坐をしてはどうか。曰く、それもけっこうだ。しかし静かなところでいそしむだけではだめだ。動くことでも感じ取らなければならない。聖賢の教えが、打坐だけであろうはずがない。随処で力を発揮するというのなら、読書のときも、他者と何かしているときも、動こうと静まろうと語ろうと黙ろうとどんなときも心を修めるのだ。(作業中)
【原文】
○問初學精神易散。靜坐如何。曰。此亦好。但不專在靜處做工夫。動作亦當體驗。聖賢教人。豈專在打坐上。要是隨處著力。如讀書、如待人處事、若動若靜若語若默皆當存此。無事時、只合靜心息念、且未說做他事。只自家心如何令把捉不定恣其散亂走作、何有於學。孟子謂學問之道無他、求其放心而已矣。不然、精神不收拾、則讀書無滋味、應事多齟齬。豈能求益乎。
【訓読】
問ふ初學精神散じ易し。靜坐す如何。曰く。此れ亦好し。但し專ら靜處に在りて工夫を做さざれ。動作も亦當に體驗すべし。聖賢人を教へて、豈に專ら打坐上在らしめん。是れ處に隨ひ力を著すを要す。書を讀むが如き、人を待ち事を處すが如き、若動若靜若語若默皆當に此を存す。事無き時、只心を靜にし念を息んずるに合し、且つ未だ他事を做すを說かず。只自家の心如何ぞ把捉定まらず其の散亂走作を恣にせしめ、何ぞ學に有らん。孟子謂ふ學問の道他無く、其の放心を求のみと。然らざれば、精神收拾せざれば、則ち滋味無く書を讀みて、事に應じ齟齬多し。豈に能く益を求めんか。

*1:OPACが表示するURLが機能しないし、CiNii Booksへのリンクも切れている(2013.11.12時点)。

*2:http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA68343170

*3:https://github.com/kawabata/kanbun-javascript

*4:http://mokusai-web.com/index.html