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東浩紀禅者説

こないだ八卦掌の練習の後、夏目さんと夕ご飯を食べながら、どういう経緯でか、確か身体へのまなざしのモダンとかプレモダンとかそういうところからだったように思うけど、ポスモダよう分からんねとかそういう話になったとき、ふと思いついたこと。

思想内容とかを問題にせず、その語り方を見たとき、東浩紀さんてやってることは禅の実践なのではないでしょうか。仏教思想と親和性がある、とかそういうことでなく、(マイルドな)禅のスタイルと同じ。
例えば十牛図に代表される修行論ですね。悟り(2次元≒イデアの世界)を求めて、俗世間(3次元)をいったんは離れるけれども、いったん悟りを得たあとは、向こうの世界に行ったままにならないで、俗世間に戻ってきて生きていってるあたり。実際ご自身は妻子持ちだったりしますから、まさに俗世を生きつつ悟りを語っている人なわけです。
また「如何なるかなこれ仏」「美少女ゲーム」みたいな感じで、卑俗なもの(サブカル)で高邁な思想を語るという語り口も実は禅の公案でないかと考えてみてはどうでしょう。であれば、東さんの言説のような、ポスモダやカルスタのような言説を考える際には、たんに何を語っているかではなく、どういう状況で語っているか、という環境をこそ問題にすることは、実に正当な応答の仕方になるのではないでしょうか。つまり思想の内容を直接論じなくても、思想の場としては実は成立しうるのではないか、このジャンルで議論の齟齬がおきてしまうことを積極的に評価できるのではないかと思ったりしたわけです。