陰符経メモ:遠藤隆吉の陰符経理解
易と人生 : 巣園論集
遠藤隆吉 著 巣園学舎出版部 1913
国立国会図書館デジタルコレクション - 易と人生 : 巣園論集
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ロ 陰符經
禍の中に福を發見し、福の中に禍を發見するなどいふは其れ自身人
の意表に出でたることにして此說の立脚地が表裏二面に付いて言へば
裏面に存することは槪見するとが出來る。乃ち事物を表よりのみ見ず
して其裏面より觀察せんとするのである。陰符經の書物は卽ち這般
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の眞理を發揮したものである。著者は黄帝と稱せらるれども元より
湕時代の產物であつて不明である。僅かに四百四十四字の小篇であ
るが之を實行する時は終身盡きざるものがある。
陰符經は普通の人よりも深き見識を以て著はされたるものである
から凡て人の氣の付かざる所又は氣付いても實行し難き處に其立脚
地を置いたものである。されば表面を見ずして裏面を見、動を主とせ
ずして靜を主とし、明に居らずして暗に居るといふが如き具合である。
故に曰はく
天發㆓殺機㆒移㆑星易㆑宿。地發㆓殺機㆒龍蛇起㆑陸。人發㆓殺機㆒天地反覆。
生殺の二端に付いて殺のカあることを認めたものである。又「天有㆓五賊㆒。
見㆑之者昌」とある樣に五行(水火木金土)が相剋することをいふた迄である
が之を賊として觀察したのが普通人に異なる處である。
宋の周茂叔は「主靜焉」といふたが矢張り道家者流の思想である。陰
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符經は人間の大々的に活動せんことを希望するけれども而も又其心を
靜かにするの必要あるを認めて居る。心を靜かにし居る時は百般の
理が明々白々地に映じ來りて洞察せらるゝに至る。陰符經の作者は
此の種の立脚地に立たんことを希望して居るのである。
要之。陰符經一書の主とする所は事物の裏面を觀察するに在る。
人の氣付かざる所を見るに在る。心を靜かにして機の敏なる處を察
するに在る。獅子を殺すものは匕首を懷にして深く荒漠の野に入り
其の來るを見るや右膝を地に付け匕首を右にし虛心平氣些の逼る氣
なし。九尺に餘る猛獸は烟を立て疾驅し來り怒りて見、口を開きて將
さに嚙まんとす。電光一閃、匕首其喉を割、流石の猛獸も地を㨔かさん
許りに倒る。此れなどは死中に活路を發見するものである。心を靜
かにするにあらざれば此種の務をなすことは出來ない。陰符經の主と
する所は這般の心的狀態に在る。乃ち莊子の養生主に庖丁が文惠君
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のために說いた所と同樣である。禍中に福の機あり、福中に禍の機が
ある。之を洞察するのが人間に取つて最も必要なることである。此れ
さへ出來れば則ち如何なる困難に遭遇するも捲土重來の勢を挽回す
ることが出來る。陰中陽陽中陰は此くて極めて興账ある處の主旨であ
る。
周易の本文には此く迄遙か說明した慮はないが「物窮必通」といひ「陰
陽相倚」といふ思想があるから詮じ詰むれば則ち陰符經の意除になる
のであるが、易を讀むで此處迄應用出來れば則ち最も善く其效を認め
るとが出來るのである。