梁派八卦掌の口伝と走圏(3)
先に梁派八卦掌の走圏におけるイメージ練習の方法を訳出しましたが*1、これを馬貴派のものと比べるとなかなか興味深いものがあります。あ、もちろん僕が習っている範囲のもので比べているため、暫定的な比較に止まることは言うまでもありません。
馬貴派での走圏の3つのイメージとして、
1. 一歩に全身を載せて踏む
2. 蹴るがごとく足を前に出す
3. 地を這うように歩をすすめる
と教わったことは前にも書いた通りですが*2、このイメージは梁派にもあって、それは、
(六)踩游蛇(蛇を踏みつける)
(五)踢門坎(敷居を蹴破る)
(三)搓麻縄(麻縄をよる)
に対応します。興味深いのは二つの派で語るイメージは同じであるにもかかわらず、難易度が真逆であることです。そして「踩游蛇」「搓麻縄」の理解がまったくといっていいほど異なっているように思えます。この解釈の違いが難易度設定の違いなのでしょう。
こうした差異を取り上げて、どちらの解釈が正しいかと論ずることは、党派的な争いを好む人以外にはまったくナンセンスでしょう。むしろ、ここから読み取るべきは、イメージが共有され、そしてそれに基づく身体運用法もまた共有されているだろうにも関わらず、それらの解釈の差異によって教学のシステムとしては相当違うものになってしまっているという事実だけです。
古典学的アプローチからすると、まずこうしたイメージや身体運用の同一性を明らかにしていくことから始めて、その後各流派の特徴、つまり差異性を論じていく、ということになるでしょう。このブログで、しばしば八卦掌とこれが似ている、あれが似ているというメモを残しているのは、議論の基礎となる身体の同一性をあれこれ考えているというわけです。
他方、実践として考えてみると、同じイメージ、同じ作法だからといっても、その位置づけが教学体系ごとに異なれば、その意味も変わってしまう以上、安易に他派のものを自分の練習に取り入れることはあぶなっかしいということになります。もちろんこうした作法の同一性は、あるレベル以上になれば他派の技を習うことができるようになるという根拠にもなるのでしょうけど、まあ現在の僕には関係のない話です。