Under the hazymoon

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は、反転なんかしてないんだからねっ!

 って、これだと反転してることになるんでしたっけ。てなことで*1養老天命反転地*2合宿に行ってきました。
 土曜の夜遅くにまず温泉旅館*3に集合。そんで名物の飛騨牛や山の幸を堪能したり、温泉につかったりしつつ、ディープな人文情報学(仮称)系についての科研費獲得及び悪だくみをおこないました。
 で、次の日、合い言葉は「反転」ということで、朝から天命反転地に向かいました。
 

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 結論からすると、アスレチックパークとしては十分楽しいけど、思想性についてはなんだかな〜と底の浅さを感じさせるものでした。日曜日の午前に行ったところお客の大半は子供連れで、子供たちは楽しく遊んでいましたから、公園としては成功しているといってよいと思うし、現代芸術としてはすぐれてるそうですから、まあそれでいいんでしょう。とはいえ個人的には、山形浩生さんの天命反転住宅に対する批判*4を再確認した感じです。
 個々の発言自体についても、それが間違っているとは思いません。むしろ僕が専門にしている道教の修養法をめぐる言説と実に類似していて、これはプレゼンで利用させてもらおうと思ったぐらいです。しかしついていけなさを感じることも事実。ゲージュツ家ってのはどうしてこう他者への敬虔な気持ちを欠いているのかと偏見が強化されました*5。旧図録の中の荒川修作さんの言葉には、例えば、

人間は、心と肉体ですね。心とか魂については、世界の人間が真剣に考えたんですよ。しかし、肉体については、いつも人は喋らない。この肉体を安らぎの場所に連れていかない限り、僕たちには真の安らぎがないわけです。

とか言われると、まあ中国仏教や道教の伝統にはいくらでもあるじゃんと思ってしまいます。
肉体に関しては、特に道教が強くその重要性を訴えてます。で、実際、

我々が忘れ去ってしまった永遠とはどんな色、どんな形なのか、永遠に生きるとはどんなものなのか…、それが絵にもできなくなってしまった今、せめてその色や形を想像できる世界がどうしたらできるだろうか…、これはそのための最初の戦いなんだ。

と言われてるようなことを長らく試みてきているのが、僕が研究している内丹などの修養法だったりします。数千万だか数億だかかけてやらんでも、身体一つでやってきたよ、と思ってしまいます。
 芸術家本人は実践者ですから、そう思ってそうすることには、何の問題もありません。しかし研究者の立場ではこれは称揚しがたいものがありますし、また第一、研究者だけが知っていることではないですよね。

ここに来たらいろんな神様にあえるんだ。しかもその神様のうちの一人が自分だったらいいでしょ。

とか、

人間は、与えられた自然だけに服従しなくても、こういうもう一つの自然というものを創ることができるんだな、ということが分かったとき、初めてもう一人の私というのが形をもって出てくるはずです。

といった発言を前にすると、やはりなんとも貧しいものを感じざるを得ません。日々の生活の中に神や芸術を見出すことができないんでしょうか。服従するとかしないとかだけが自然との折り合いの付け方でしょうか。第一、自分の中の自然を呼び覚まそうとしているというのに。

 しかしこれをオルタナティブ・デザインなんだと言ってもダメなんじゃないの?という批判を信奉者と思われる人にすると、何ら代替案を提示していない者に批判の資格はない、それでは建設的な議論はできないとかいった応答が返ってきて議論を拒絶されてしまいました。伝統的な宗教の中にあるよとか言っても、それって情報を業界内だけで秘匿しておいて特権的な立場を作って物を言ってるだけでしょとの由。その情報をベースに何か新しいものを作れないかという議論をして、現実との回路を開いていかなくてはいけないでしょうと。うーん、古典研究者として耳の痛いところはありますが、しかし日々の生活に神を見出してきた人々の多くは、別に道教や仏教について学術的な知識を備えた研究者ではないんですけどね。事実としてあったし、今もあるから研究してるんだし。
 第一、芸術家や理工系の科学者の仕事にのっかって物を言う方が、古典にのっかって物を言うより偉いとは言えないでしょうに。居候三杯目にはそっと出し。
 
 もちろん業界内に情報を秘匿云々という批判自体は、むちゃくちゃ当たってはいて、もっと発信することはしないといけないでしょう。とはいえ、古典研究を専門にしている人間であれば、その成果が効力を強く持たないとしても、やはり古典研究の中から物を言うべきではないかと思います。だから問題があるとすれば、まず第一に古典研究者のあり方として現状はどうなのかといった問題意識から始めるしかないと思うわけです。そうなると、論点の比重は、情報の公開、古典へのアクセスルートを広げることを重視することでないかと*6。そうでないかぎり、仮に古典にもとづいて積極的に現代社会に提言したところで、その主張内容の検討をしようにも、もとづいてる古典に業界外の人がアクセスできないまま、例えば白文のままで現代語訳が抄訳ですら存在しなかったり、ではどうしようもないでしょう。結局フェアな議論はできません。依然特権的な立場を要求していることになりはしないか。
 
 それに、実効性があるかどうかも分からない代替案なんているの?という議論自体を行う資格は何ら自分で新しいものを作っていなくても十分にあります。だって現代の民主主義国家においては、芸術家や研究者のパトロンは、理念的には国民一人一人ですよ。パトロンに実践できないから批判するなと言うのは何とも傲慢な話で。
 だって、現実の運営とかコストの問題とかまでを考えてみると、これはこれで問題がかなりないですかね。
 
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こういう劣化を想定せずに作るようなデザインはそんなに優れてるとは思えない訳です。もし芸術としてでなくちょっと変わったアスレチックパークにしていたらどんだけお金があまったろう、他に金を使った方がよくなくないか(できればその1%でもいいから古典研究に)、としみじみ思う次第です。

 ところで、実際にここを使っていると感覚が生まれ変わるのか、実証実験はちゃんとしたんでしょうか。簡単なところでは、
 
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とその効果を宣伝せざるをえないぐらいだから、利用者のうちどんな人がどれだけケガしたのか統計取ることで実際の効果を数値化といっていいかはともかく参考にできると思うわけですが。
 もっともそれって感覚が変化したことなのか?という疑問は残ります。利用継続してる人、そもそも利用しない人、利用しないが自然にふれあう機会が多い人等々との比較などやらないかぎりはダメでしょう。もちろん科学的な計測でなくてもいい、感覚が変わったという実感があるかといった心象的な問題でも全然いいと思うんですよね。臨床結果がない話を信用しろというのが無理な話です。結果の測定しないんなら、伝統的なものをそのまま使うなり改良するなりすればいいじゃない、という結論になるのはむしろ自然だと思います。少なくとも歴史の審判という臨床結果がありますから。
 しかしまた人文研究者の出自というものを中国哲学の伝統に則して考えてみたときに、知識人は第一に滑稽、権力者に対してらちもないことをあれこれ言いたてる道化であったわけで、その意味で、実現性を考えずどんどんネタだしをする姿勢というのは、きわめて知識人的で、伝統を再現しているとも言え、芸術としての歴史学を妄想している僕にとっては見習うべきスタンスだなと思います。算盤勘定と芸人魂と職人根性と三つ揃って理想の研究者といったところでしょうか。
 
追記(10/25):むにゃむにゃさん経由で*7、建設費用が12億近くかかっていたことを知りました。うーむ、これを支持できるなんてどうかしとるな。作家にどれだけ報酬がいったのかも気になりますね〜。特定の宗教臭さを消すための費用にこれだけかけるぐらいなら。それにしたって言ってることはステレオタイプなキリスト教的世界観だしなあ。NPO法人岐阜胎内くぐりとかヴァーチャル四国遍路の会でいーじゃん。自戒を込めて批判を続けねばなるまい*8

*1:http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20061021/1158663485、http://d.hatena.ne.jp/monodoi/20061022/p1

*2:http://www.yoro-park.com/j/rev/

*3:http://gifukikusui.co.jp/

*4:http://d.hatena.ne.jp/nomurahideto/20060829/p1

*5:深いおつきあいなどなく、仕事上お話をしたぐらいですが。これまでだと音楽家の人がいちばん人柄がよかったかと

*6:少なくとも最近の業界ではそれはかなり弱いという問題があります。これは今までも問題にしてきた通りです。

*7:http://mixi.jp/view_diary.pl?id=251599266&owner_id=2128

*8:宗教家の人とか批判すべきだよね。してるのかな。研究者的にはこの時代にこんなゲージュツ家がいたというケーススタディとして扱うのがまあストイックな接し方かしらん。とはいえ僕はすげー批判したい。してるし。