Under the hazymoon

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そこまで噛むんすか?!

今日は易筋経講習会の第3回でした。前半は易筋、後半は88式でした。今後の易筋経講習会は基本的にこのスタイルで行うそうです。理由は本気の易筋をやると2時間体が持たないというのと、88式を通じて、より深く易筋の原理を探究し実践するためとのこと。そのうち128式もこの講習会でやるそうです。

練習メニュー自体に新しいところはなかったので詳しくは触れません。理論面では、筋と膜の対比のより詳しい解説がありました。

清析(明確) 混濁(不分明)
霊活(速い) 遅鈍(遅い)
?(分節的) 周遍(全体的)

第一に、筋はまずその存在がはっきりしていて、身体のどこにあるか示すことが容易であるのに対し、膜はこれと提示することが難しい。第二に、筋はその変化が速く、動かそうとすればすぐ動くが、膜はその変化が遅く、なかなか動かせない。第三に、筋は身体中をめぐっていても、筋を一本一本分けることは簡単であるが、膜は全身を覆っていて、部分に分割することはできない。といったところです。
つまり、筋に対して膜というのはどうにも実体性が曖昧なところがあります。それ故に形のない精気神と形のある筋骨肉を橋渡しできる、ということなのでしょうか。でも、今度の料理教室で羊の骨を準備して見せてやるとか李先生は言われていたので、実体的なものであるのは確かみたいですが。
それから剛/柔・鬆/緊といった対概念には本来区別がないとして、韋駄献杵の動作を例にこのような話がありました。この動作は単に腕を開閉しているのではなく、とてつもなく重いものを持ち上げるものとして行うのだそうです。であれば、上半身に変に力が入って身体がよじれてしまっては持ち上げることがかないません。しっかりと座って全身で持ち上げなければかなわないわけです。そのとき、全身には気血が充実していて、気血で両腕を動かして持ち上げる。これが剛柔一体ということなのだそうです。勁力のようなジャーゴンを使わないで、(たぶん)同じ説明がなされ、非常に明解です。
さて、今回のいちばん大きな発見は、気血を一つに集めて下に降ろしても、本来的に上に昇りやすい気血をどうやって下に保っておくか、その具体的な方法を教えていただいたことでした。まず馬歩で腰と膝を結ぶ線をできるだけ水平に保つこと、それから開閉などの各動作の際にしっかり地面を噛むことの2点です。特に地面を噛むことについては、立ってやる場合も行うようです。第一の方法はともかく、だって言われてもまだできないし、第二の方法はけっこう今まで自然に噛むにまかせていたので、これでいっそうきつくなりました。もちろんこれらに注意して中正を外しては意味がないので、たいへんです。
それから目線を水平に保つことは、単に姿勢の中正を保つためだけではなく、精神の拡充がその目的なのだそうです。確かに下を向いたり上を見たりすると視界が狭くなります。水平に眺めてもっとも広く視界を保つことが、イコール精神を大きく広げるということで、筋と精神は相互に関係しているので、精神を広げることが筋を伸ばすことにつながるとの由。なので、苦しくて顔をしかめて易筋の動作をすると効果が大きく減じてしまうので、つらかったら休んだ方がよい、とのことでした。なるほど〜。