Under the hazymoon

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余は如何にして相對主義を捨てしか

今日は2009年冬の八卦掌講習会第5回目でした。練習メニューはバッキーズの方をどうぞ
個人的な発見としては、李先生から走圏を直される際に、後足の太腿の上を押されたのですが、あ!と思って、後足に負荷をかけつつ前に身体を移すと、前足の安定性がぐっと増したんですよね。李先生曰く座れてなかったからだよとの由。

前へ下へということで前足をしっかり固めることばかり考えてたのですが、そのため前のめりになっていたののかもしれません。といって、後足を意識して後ろに座るというわけではないんだよな、とか考えていたら、相方からそれって重心を真ん中に置くってことじゃない?と言われて、あ、そうかと納得した次第です。結局、基本ができていなかったということで、後足が弱かったということなんでしょう。しばらく研究してみなくては。

さて、一つの動作に対して、李先生は時に互いに矛盾するような複数の解説がなされるのですが、これを多様な解釈の可能性とみたり相対主義的にどれも正しいとみるのは、実は間違いではないかと思います。というのも、実践上は、常にそのときそのときに正しいただ一つの答えを選択してそれが示されているからです。状況が変化した場合(これは李先生が意図的に課題設定をしているわけですが)はまた異なる正解が示されその他の答えは排除される。常に一意的に正解が決まる状態が異なる状況で積み重ねられて最終的には矛盾する複数の要求を同時に体現できるようになる、ということではないかと。
そうした状況を俯瞰でみると、多様な解釈や相対主義と同じように見えてしまうのですが、決定的に違うのです。正解を自由選択できると、かえって何も選べなかったり、自分で選んだがためにその選択に固執したりという陥穽が出てくるからです。だから正解を一つ選ばざるを得ない環境を設定するべく自分をよく省察するのでしょう。李先生との会話がしばしば禅問答になることは、だから学びとしてすぐれて正しい回答なのだと思います。