Under the hazymoon

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多様性の確保と真実性の追究

夏目さんの「八卦掌練習と言葉の不思議」にすごく共感して、長々コメントしてしまいました(>_<) というのも、まさに僕自身が研究の方で目指しているスタンスと同じ方向性だったからです(いやま、実践できてないすけどね)。

「違うかもしれない」を前提として共有した上で「同じ(方向)だよね」って肯定したほうが、コミュニケーション言語としては生産的

文学などでいえば、それは一つの正しい読みよりも多様な読みの可能性を提示することにつながるでしょうし、僕の専門でいえば、内丹を厳密に定義してその範囲をせばめていくよりも修行者によって異なる解釈をそれとして大きなつながりでみていくような方法をとりたい、そう思っています。
研究としてみると、厳密に他をそぎ落としていった結果つまらない話になったり、あれもこれもと取り込んでいった結果わからない話なったりと落とし穴はどっちにも空いてるわけですが、業界的には前者の方が受けがいいです。僕は後者の方でも議論になると思ってるのですが。
しかし実のところ、厳密な定義を追究して他を排除していくのも秘教的ですが、その逆に、すべては同じ方向を向いているのだと他を飲み込んでいくのも同様に秘教的な態度になるでしょう。どっちもオカルトの特徴といえます。だから夏目さんが言われていることの逆の方向も必要になるのだと思います。つまり、

  • 「同じ(方向)だよね」を前提として共有した上で「違うかもしれない」って否定する

ことも生産的に語ろうとした方がよい。で、どちらか一方に片寄ってはいけない、と黙して語らないのも一つのありようですが、どっちかに片寄ったら意識的に逆に針を振るようにするというのも一つのやり方だろうと思います。まさに陰陽は反転するということで。