何故『国術名人録』で馬貴は程廷華の弟子になっているのか?
馬貴が董海川の親授を受けたことについて調べていて*1、香港に伝わっている傅式八卦掌の開祖傅振嵩が馬貴にも習ったことがあるということを今さら知って、さらに関連サイトを見ていると、おっと思う記述に出会いました。
今度は八卦拳国術研究会という団体のサイトなのですが、そこの八卦掌の歴史に関するページ*2で、
師傅說八卦拳中有打旋風的招式,那是董袓師晚年創成的,所以弟子中除程廷華和馬貴外,早年的弟子都沒有傳授。
とあったんですね。董海川が晩年に編み出した技である「打旋風」は、初期の弟子には伝わらず、程廷華と馬貴だけに伝わった、ということはつまり、高弟では程廷華と馬貴の両弟子しか晩年の董海川の元にはいなかった、ということになります。それが事実なら、『国術名人録』で程廷華と馬貴の関係が師弟に取り違えられていてもおかしくない、ということになるでしょう。しかも南京への招聘を断ったという記載がありますので、『国術概論』との整合性もあります。
そうなると、八卦掌の出版物では全く触れられてないとされる「打旋風」なる技の存在が気になるところです。今度李先生に聞いてみよう。