Under the hazymoon

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書芸術の起源はどのように語られるべきか

学習院大学での「からだの文化2」*1で、夏目さんが著書の『書って何だろう?』*2を引かれつつ、木簡の行政文書に書芸術の起源をみる話をされていました。
行政文書と書芸術の関係は、冨谷至『文書行政の漢帝国 -木簡・竹簡の時代-』*3の第2編第二章「書体・書法・書芸術ー行政文書が生み出した書芸術」で、たくさんの木簡資料を掲載しながら詳細に論じられています。自分の報告用にチェックだけするだけして結局使わなかったのですが、当日の夏目さんの話と対照的な議論になっていて、おもしろい論点になっていました。
冨谷さんは出土した木簡は下級官吏の行政文書の芸術性について否定的です。「書芸術を実践しているわけではなく」と断りを入れた上で、

ひとり草書のみならず、隷書体の文字についても、書き手に文字を美しく書こうという意識、美しい文字を手本にする意識があったのかといえば、私は否定的である。本章の冒頭に私は書芸術の成立要件として、美的な文字を書く主観的美意識と、美的な文字を模倣しようとする客観的美意識の二つをあげた。その意味で、隷書、草書という文字がいまだ見られない前漢時代、つまり居延漢簡、敦煌漢簡の時代には、私のいう書芸術は成立していなかったのである。*4

といった結論を述べられています。しかしまさしくここには実践の問題があります。同じ竹簡の文字を前にして、夏目さんは「こいつ書いてて楽しいんだよ」とコメントします。懸針や波磔の大きなのび*5は書いていて気持ちがいい。そう、誰かに見せるためでもなく、自分自身が楽しくて書いている、書くこと自体が快感であること、そこに書芸術の起源があるということなのです。冨谷さんの議論に欠けている視点です。もちろん芸術として成立していなかったという判断には同意できなくもないですが、しかし書芸術の定義に自らが実践する快楽を含んでいないことは、議論を色褪せさせるもののように思います。
また実践性という点から考えるのであれば、書芸術の成立を前漢に認めてもよいもう一つの論点があります。それは実用の美という概念です。冨谷さんは書芸術ではないという否定的な評価を自ら与えていますが、

つまり、隷書すなわち史書でなく、隷書で書かれる行政文書にふさわしい書法、文書全体の中での視覚的効果、そこから期待される公文書としての威信と威圧を与える書法、それが「史書ー令史(書記官)の書法」であり、かかる文書を作成する技巧が優れていることが「善史書」ということではなかろうか。/また、こうもいえるかもしれない。懸針、波磔は、ある一定の文字、文書の中の鍵詞となる文字に集中するが、かかる文字に懸針の書法をおこなうかどうかは、書き手の意に任されていた。その任意性、つまり文書の中のどの文字に、懸針、波磔を施し、また他の文字との兼ね合いの中で、文書全体の視覚的効果を現出するか、それは書記の文書作成技量にかかる、そういった技量に優れていることが、「善史書」であると。

といった分析をされています。僕にはここで冨谷さんは意図せずして書芸術の成立を語ってしまっているように思えます。創作者が意図的に視覚的効果を操作することで生み出された書の成立を認めているのですから。ここには明らかに実用の美が成立しています。もしこれを芸術として認めないなら、東洋において器の美を論じることはほとんど意味をなさなくなります。陶器とか、困りますよね。
一方で書は呪術になっていくことを考えると(そういう報告をしました)、そして呪文が「急急如律令」だったりすることも含めて、芸術も呪術も文書行政に起源があるということになるわけで、中国はやはり史書が支配する国であるのだなと改めて思うのでした。

*1:http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2011/10/post-1c74.html

*2:[asin:4544011620:detail]

*3:[asin:4815806349:detail]

*4:前掲書、p.170。

*5:前掲書、p.152。
[f:id:nomurahideto:20111025014441j:image:w360]