Under the hazymoon

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脚心含空は足の牛舌掌か?

 今日は李老師講習会の最終日。今夏のシリーズは双換掌の思想と変化とのことだったので、今回も難しいのだろうかと思ったら、最後まで熊形走圏のみという、ステキな展開に。境地と方法とを非常に具体的に教えてもらいました。
 

 今回教えていただいたのは走圏の一歩一歩の歩の進め方です。それには三段階あって簡単にまとめると、

  1. 一歩に全身を載せて踏む
  2. 蹴るがごとく足を前に出す
  3. 地を這うように歩をすすめる

となるでしょうか。
 この三つの要求はすべて同時に満たすべきものですが、実際に練習するにあたっては段階的に進めていく、というより、実現するのが段階的に難しくなっているとのことでした。なので、できなくてもいいからこうした要求を知っておいて練習することが大切なのだそうです。李老師自身ですら三つ目の要求はまだ満足できるレベルではなく、だからきちんと教える自信がないと言われていました。真に伝えるには自分が完璧に体験する必要があるからとのことです。謙遜でもなんでもなく、十年修行してなおまだ達してないという、まさしく漸悟漸修、面壁九年の大周天の世界です。たとえ口訣を知ったとしても即座に頓悟できるかと思ったら大間違いなわけですね。ひたすら走圏でぐーるぐる回らなければ答えは出てこないと。
 特に興味深かったのは、

脚心含空(土踏まずに空間をつくる)
繃起脚面(足の甲を張る)

と、足の甲を張って土踏まずに空間をつくり足のかたちをしっかり決め、しかも、足を降ろしたときもそのかたちを維持するという要求でした。走圏の足捌きは実は暗腿でもあると聞いたからでしょうか、何だか足で牛舌掌を作ってるような印象を受けました。後で別に八卦掌関係の本をぱらぱらめくっていたら、三空という言い方があって、胸・手・足に空間をつくることが重要なのだそうです。おおなかなかいい勘してる、のかな。
 
 さて、走圏では以上のような足捌きを行う中で、全身の力というか気をすべて地面に落とし込むかのようにしないといけないわけですが、それにはとりもなおず身体を以下のかたちに保つ必要があります。

  • 含胸:胸の中央だけがくぼむのでなく、胸全体が下がる
  • 亀背:亀の甲羅のように上下左右にまるめる
  • 吸胯:臀部をきゅっとしめる
  • 提肛:肛門を引き上げる

このうち「吸胯」「提肛」はこれまでに何度も言及している「下端腰」を分節したものです。
 またこの四つの要求は、
「含胸」「亀背」→心
「吸胯」「提肛」→腎
といった対応関係にあり、これらの要求をすべて満たすことは「心腎相交」の実践であって、その成果はいずれ「結丹」として現れるとのことでした。心火を下げ、腎水を上げる。おおまさに内丹の思想ずばりです。今日一番の萌えポイントでした(爆
 李老師はどんな養生の技法でも究極的な原理はこれにつきると言われてましたが、これは歴史的にもその通りでしょう。ただ原理=道は一つであっても、そこに至る方法はいくつもあるわけで、だから八卦掌の走圏はその一つでしかないということになります。おそらく現代の内丹にしても太極拳にしても禅にしても合気道にしても、同様の原理にもとづき、同様の効果をもたらす修行方法があるでしょう。あまり詳しくないので具体的にどういった技術があるか、また現代にどの程度継承されてるかは知りません。白隠禅については少し論文を書きましたが、それは歴史的思想的な部分をあつかったもので、現代の実践までにはとどいていません。そのへん、たいへん知りたいわけですが、ただ一人の人間が何でもかんでもできるわけではないですから、縁あって出会った八卦掌を僕としては大切にして、その実践を通じてその成果を記述し、他の技法と比較していくことで、内丹を中心とした東アジアの身体修養の伝統の広がりを研究したいなあと思ってるわけです。何年かかることやら分かりませんが、八卦掌自体が何年でも続けられそうなくらいおもしろいので、この方面の研究は気長にやれそうです。いや細かくジャブを撃つように論文は書いてくつもりですけど。
 こうした実践をともなう身体文化については、実際に体験しなきゃ分からんよというのは真実ではあるかもしれないけど、それは同時にそれを言っちゃあおしまいよ的な伝家の宝刀で、繰り返し書いていますが、その上でいかにそれを実践していない人に分かるように記述するかという問題に取り組むことに研究者としての自分の喜びがあります。できてないけど。難しいですと言ったときに李老師が「慢慢来!」とにこやかに答えられたことが思い出されます。走圏の進歩のように研究も進歩していくことを期待して凡俗はがんばるしかないわけですね〜。こういう努力は楽しくていいです。